この歳になって「イソップ寓話集」を再読して気づくこと
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

『イソップ寓話集』岩波文庫
子供の頃、「イソップ童話」に触れた人は多いと思う。
いや、よく分からないけれど。子供のための「世界文学全集」などに入っていたので、わざわざというのでなく、自然に目にしてしまっていた。笑
思い出せば、世界文学全集の中の「イソップ童話」は教訓じみた話ばかりだった。
食べられなかった葡萄の話などは、プライドの高さ故に、
「きっと、すっぱいにちがいない」と、やせ我慢する狐がむしろ気の毒であった。
まあ、そんな教訓話で充たされたお話。
はっきり言えば多彩な「グリム童話」に比べて、面白さに欠けると思っていた。
しかしこの大人のための「イソップ寓話集」は、目もくらむほどに多彩な内容、はっきり言えば、わくわくするほどおもしろい。
残酷だったり、だまし討ちや、抜け駆けあり、しかも断定的で余談を許さない潔さ。笑
正義と悪をはっきりと分けているのも気持ちいい。昔の人はこんなにもスパッと割り切って生きていたのだろうか。
いや、生活が厳しいから、狡をするものや怠け者を許さない。ついでに言えば、世知辛い世の中を、知恵を絞って生きている者に喝采を送る。
今の私たちはやさしさや、多様性など、いろんなことに配慮しなければならない。
イソップ寓話集の中の人物や、動物たちのように、
「そんなの気にしない!」
などとは、とても言えないのだ。
相容れない炭屋と洗濯屋
例えば、「炭屋と洗濯屋」の話がある。
炭屋は、「お隣さん同士、仲良く一緒に暮らそうよ!」と提案する。
洗濯屋は、それはできない!という。
「わしが白くしたものを、あんたは煤で黒くするだろう」
この話が子供の時も「イソップ童話」の中に入っていたかどうか、記憶は定かではない。
「似たもの同士でないと、共同作業はできない」
という洗濯屋の主張を、しごく当然のこととしているのに驚く。
今の私たちには目のくらむような主張だ。
こんな風に言えた社会が大人なのか、それとも今の社会が成熟しすぎて退化しているのか。
それはなんとも言えない。
イソップ童話の成立時期ははっきりとはわからないようだ。
古代ギリシアの時代から中世までの、人々の知恵を山ほど集めたものなのだろうか。
おなじみ、「北風と太陽」から、子供心にも「残酷だなあ」(__;)と感じた「王様を欲しがる蛙」まで、「イソップ寓話集」はほんとうに多彩な内容である。
寝る前などに、ひとつひとつ目を通していくのもまた楽しい。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。










