お母さんになっても、あまり重い荷を背負う、という気持ちにならなくてもいいのじゃないか、とふと思う。
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

今の少子化を思うに、おそらく、今の若い方がまじめで責任感がつよいことも理由のひとつなのではないかと思う。
まず、十分な収入がなければ、相手に迷惑をかけてしまうから結婚できない、自分には結婚する資格がないと思ってしまう。
また、皆さん良い家庭で育たれたので、皆がいたわり合って、子どもが産まれたらちゃんと育てて・・・などいろいろ考えられるでしょう。母親になる女性ならなおさら、責任感で押しつぶされそうになるかも知れません。
もちろん、良い母親がよいには決まってます。
けれど、芥川龍之介の、
「僕の母親は狂人だった」という一文を読んだときの衝撃よ!
本屋さんで立ち読みしていて、思わずくらくらっとしましたね。
(『芥川龍之介 家族のことば』から 木口直子編)
家族についてどんなことが書いてあるのだろうと、恐る恐る本を購入しました。
先程の続きです。
「僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。僕の母は髪を櫛巻きにし、いつも芝の実家にたった一人座りながら、長煙管ですぱすぱ煙草を吸ってゐる」
少しも怖い話しではありませんでしたが、むしろ・・・これを読むと、
「自分も、そんな良い母親にならなくても、よいのではないか」
と思えてきたりします。
もちろん、そんな文脈で書かれた本ではなく、
芥川龍之介本人や、妻や、子や、姪など身内など、それぞれの飾らない、ふと本心を吐露するようなことばを集めた本なのです。
それだけに文学者というのとはちがった龍之介の姿が、ふっと浮かんできたり、家族のつながりの不思議さがうかんできて衝撃というか、心打たれます。
先程の続きですが、母は、龍之介や姉たちが絵をかいて、とねだると、衣服や花やいろいろなところに絵を描いてくれるのですが、
「唯、それ等の絵中の人物はいづれも狐の顔をしてゐた」
そうです。哀しく寂しい話しですが、文学者というのはそういう寂しさを胸に抱えて生きていく人々なのかも知れません。
そうして、また先程の、母親業の話しに戻りますが、
お母さんになっても、あまり重い荷を背負うと思わず、
もうひとり、自分の一番の仲良しを育てる・・・くらいの気持ちで、ちょうどいいのかなと思ったりします。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。










