養老先生の愛猫まるとのやりとり/「意味のあるものだけに取り囲まれていると・・・意味のないものの存在が許せなくなってくる」(「遺言」から)
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
猫好きの人は多い。私も猫が好きだ。けれど団地では、犬猫の飼育が禁止されている。
さらに、わが夫は「私は猫アレルギーだからね」と公言していた。
先日何気なく、「あなたは猫アレルギーなのよね」というと、
「いや、べつにそんなことはない」という。
うーん・・・(^_^;) と思ったけれど、たがいに年をとってくると、こういうことはしょっちゅうある。
だから、あまり追求しないことにしている。どちらにしても団地では猫は飼えないのだ。
それなのに、猫好きだから、外で、見かけると何か一言声をかけたくなる。
あちらでは、「ふーん」という顔をしてるか、
「おや、こいつ何かくれるのか」
とこちらを見るが、そうでないとわかると、ふん、と向こうにいってしまう。
こういうところも猫らしくて楽しい。
養老孟司先生の愛猫「まる」
かの養老孟司先生も、無類の猫好きで、「まる」という猫を飼っていた。
この猫さんは、「うちのまる」という写真集にもなったくらい有名な猫である。
「私の顔を見ると、腹がすいていれば、必ず餌をねだる。だから餌をやる。
問題はそのあとである。食べ終わるとごちそうさまの一言もない。
フンと向こうをむいて、外に外に行ってしまう」
(「遺言」新潮新書より)
こんな様子を養老先生は、愛情をこめて「恩知らず」と書いている。猫好きの人には、こんな恩知らずなところも愛しいのだ。
養老先生には「遺言」という著書があり、題名が気になって数年前に購入した。私の覚悟の意味でも読んでおこうと思ったのだ。
ところが深刻な内容ではなくページを開くと、そんな猫話で楽しませてくれる。また、
「動物はなぜ話せないのか」
と、思いがけない疑問を提示し、さらに雑草の定義についても語っていく。
雑草とは、植えた覚えのないもののこと、それは意味がないということだ、
と養老先生。そしてコワいことに、
「意味のあるものだけに取り囲まれていると、いつの間にか意味のないものの存在が許せなくなってくる」
その極端な例が、神奈川県相模原で生じた19人殺傷事件だという。
人は、なぜ意味をもとめるのか。
無駄とは何か。
そういったことを、あらためて考えさせられる一冊だった。
私たちは、猫を相手にするような、無駄と思える時間をすごすくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
よろしかったら、萩原朔太郎の「猫町」についても書いていますので、お時間があったら読んでみてください
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
ほかにも、日々の思いを書いていますので、そちらも読んで頂けますと幸いです。
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