極度に洗練された見知らぬ町にたどり着いたら~そこは猫町かもしれない 。萩原朔太郎「猫町」

極度に洗練された見知らぬ町にたどり着いたら~そこは猫町かもしれない

猫好きの人は多いと思います。そして自宅で猫を飼っていて、可愛がっている方もたくさんおられるでしょう。

そんな猫好きの皆さんは、たとえば、萩原朔太郎の「猫町」にまぎれ込んでしまったらどうしますか。人間のままがいいか。いっそ猫になって自由奔放な生を満喫するか・・・それもまた一興かもしれませんね!

街はキレイ、女は上品で慎み深くその上コケティッシュ・・・

「私」は神経症に苦しみ山あいの村に逗留していました。ある日、いつものように森を散策していると道に迷い、見知らぬ街にたどり着きました。

不思議な街でした。建物も、通りも、店も、そして歩いている人々も、何もかも極度に洗練されているのです。

人が多くにぎわっているのですが、「そのくせ少しも物音がなく、典雅にひっそりと静まりかえって、深い眠りのような影を曳いていた」のです。

「男も女も皆上品で慎み深く・・・・・・特に女は上品な上にコケティッシュ・・・・・」などあらゆる魅力にあふれた街でした。

やがてある胸苦しさを覚えてきます。それは、こうした街の雰囲気が、「非常に繊細な注意によって、人為的に構成されている」ことに気がついたからでした。

街全体が美の均衡を損なわないように、細部に至るまで極度の注意が払われていました。

ちょっとでも均衡をくずすようなことをしたら、どんな恐ろしいことが起こるかしれない・・・そんな恐怖さえ覚えるのでした。

やがて光景が変貌しはじめます。建物は歪みやせ細り、「今だ!」と叫んだとき、いきなり鼠のような小動物が街の中を走り抜けていきました。

見れば街の中を猫の集団がうようよと歩いています。

「猫、猫、猫、猫、猫、猫。猫」

そしてどの家の窓からも、額縁の中のように猫の顔が並んでいるのでした。

こわれた神経のつくった幻? はたまた究極のファンタジー?

心を落ち着かせて再び目を開けば、猫たちの姿は消え、見慣れた平凡な田舎町の光景が目の前に広がっていました。

猫町は、「私」の疲れた神経が作り出した幻なのでしょうか。それともほんとに猫の街だったのでしょうか。

よくよく考えれば、私たちが見ているこの世界そのものが幻なのかもしれません。確かなものなど何ひとつないのです。

今の私たちは、皆同じように駅のホームでスマホをのぞき、電車がくればそのまま乗り込み、つり革につかまってまたスマホを見続けます。

別の世界の人から見たらかなり不思議な光景でしょう。極度に洗練された街の人々と、同じように見えるかもしれません。

最後までお読みくださりありがとうございました。

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