ある日父親が会社へ行かなくなったら。富岡多恵子のずっしりと重たい家族の人間模様
「動物の葬禮 はつむかし」(富岡多恵子 講談社文芸文庫)をあらためて読んでみた。
いまコロナ禍で、家への回帰が叫ばれ、
「おうちじかん」など、軽い言葉で語られることが多い。
けれど、そんなものを吹き飛ばしてしまうような
触れると怖い人生の本質や、家族の闇について考えさせられる、濃い内容の作品群。
![](https://yukinovel.net/wp-content/uploads/2021/08/book-985x1024.jpg)
この中の「魚の骨」、むかし読んだときは、
それほど感じなかったけれど、
あらためて目をとおしてみると、ずいぶんつらい話だなあ、と思う。
主人公、英次の父は、英次が高校に入ってすぐ、
会社にいかなくなり、それ以来、
茶の間のとなりの六畳間をひとりじめし、
一日のほとんを寝て暮らすようになった。
やがて生活に困り、働きはじめる母親。
弟の高校中退、妹は中学卒業後、デパートの食堂で働きはじめる。
疲弊する家庭。
英次は父親に会わないよう、
台所の横にバラックをつぎ足して暮らし
大学に通いながら働いて、教会にも通い、ピアノも習いはじめる。
教会で、同じ大学の女性と知り合い、つき合いはじめる。
育ちの良さそうなこの女が、三味線を習っていることを知り英次はおどろく。
ある日、歩きながら接吻しようとして、はねつけられ、
「西洋式じゃないんだな」とふてくされていう英次。
女は離れていくが、英次にはその理由がわからない。
父親はある日、突然、家から姿を消し、苦労していたはずの母親は、
お父さんが「出ていってしまった」と声に出して泣く。
こうしてあやういところで家庭の体裁を保っていた家が
父が出奔したことで、完全に崩壊する。
すでに壊れていた家庭を、かろうじてつなぎとめていたのは、
どうしようもない父親だったのだ。
家庭ってなんだろう、とあらためて考えさせられる作品、
皮肉でも何でもなく崩壊家庭もまた、家庭の一つの姿に過ぎない。
家庭の危うさや、私たちが成長する過程で、
捨ててしまったものは何か、改めて考えさせられる作品。
ぜひ目を通してみてください。
なおこの短編集の中で、沖縄の土俗の歌など紹介しながらオバの老醜について書いた作品「花の風車」が、私はたいへん好きです。