子を持つ持たないで悩むのは意味がない。その人が命を繋いで行きたいと思うかどうかだ
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

なんとなくNHKを観ていたら、子どもを産むか産まないかなど、女性の意識や生き方についての特集をやっていた。
そのなかで、産まないことで傷つく自分、社会に受け入れられない自分、そんな心の痛みををわかってほしいという。
また、こんな社会では不安だかとても子どもなど持てないと、訴える女性も。番組の特徴として、どうしてもそんな女性によりそう趣旨になる。
つらいですよね、産まない選択だってあっていいですよね、と。
不思議に思うのだが、産まなかったらそれはそれで自分の人生なのだから、堂々としていればいいだけのことだ。特殊な人生、と思う必要はないし、番組に取り上げることでもない。
私も若い頃は結婚なんてしようとは思っていなかったし、子どもをもつ自分を想像もできなかった。とても命を預かる重みに自分の神経は耐えられないだろう。また不器用だから赤ちゃんの世話なんてとても無理、と。
けれど、子をもってみれば、赤ん坊の可愛さは想像以上のもので、自分のつまらない思惑や人生観など超えていた。そんなの、もうどうでもいいやと思うくらい。
そして、子どもをもつ身になって初めて、命を次に繋いでいくことの意味を考えた。
自分一人の命など、そのあまりの軽さに耐えられない。だからひとりで完結させないで、生を繋いでいければと願う。それは人として自然な感情なのだろう。
また同時に、産まないことで傷つく自分、人に変に思われる自分とか、そんなことも一切意識しなくてよいと思う。それぞれ、自信を持って生きていけばいいだけのことだ。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
2025-05-03 by
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