久しぶりに縫い物をして、ひと針、ひと針前にすすめる作業は人生に似てるなあと思った
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

運針をやっていると、いろいろな考えが浮かんでは消える。
針を進めるというのは人生に似ているのかもしれない。
一針一針、動作は小さいし、なかなか前に進まないようだけど、いつかは完了し一枚の着物になっている。まるで人の人生そのもののようだ。
そして千数百年昔から女性は、こんな風に、もの思いしながら針仕事をしてきたのかと思う。
たとえば平和時代の人々も、例え宮廷女性とはいえ針を持って着物を仕立てていたのだろう。枕草子にも女房たちが競争で着物を仕立てている場面があったような。
(それとも、紫式部日記だったでしょうか・・・)
そして、そんな時間の中で、源氏物語や枕草子のような作品が生まれたのだろう。それが日本人の心として引き継がれ、今に伝わっているのだろう。
私たちは今あまり針仕事はしない。
けれど思えば、針仕事の中に込められてきた女性たちの思いは偉大である。
私の母もよく針仕事をしていた。他人さまから反物を預かり仕立てていたこともある。勝気な母は背中をかがませどんどん縫っていく。私はよくその隣に座って人形遊びなどしていた。
時には人形の着物を縫ってもらったり。小さいけれど、おはしょりから襟付けまで何から何まで本物の着物のようだったのは、やはり当時の人間の律儀さか。
傍らを見れば、黙々と縫い続けている母の姿があった。
そんな時間の中で、母は何を考えていたのだろう。縫っている着物の中に、母の気持ちが縫い込められていたように思う。
うれしいことや悲しいこと、悔しかったことから、夕食に家族に何を食べさそうか、まで。
そんなことを綿々と着物の中に縫い込めつつ、日本の女性たちは生きてきたのだろうか。

今日も最後までおつき合いくださり、ありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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