人は、命が海からの贈り物だということを、とっくに忘れてしまっている

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今日、ツイッターで、赤ちゃんが生まれ、親になった喜びや、
子供のかわいさを、つぶやいている方がいて感動。
そのツイートの前で、しばし止まってしまった。

子供は絶対かわいいし、自分が一番、の価値観を崩してくれるすごい存在だと思う。
自分以上に大事な存在がこの世にあることに驚き、感動し、
何か大きな存在に感謝したい気持ちになった。

子供を産むも産まないも、その人の価値観次第

でも外では、「うちの子なんてー」といってみたり、
子供が第一、なんてことは、なんとなく、いわないものとされている。
特に今は、価値観がさまざまだから。

だからそんな中で、私より遙かに若い人が

子供はメチャクチャかわいい

とツイートしてるのを見て嬉しかった。
感動した。
生物的には、どんな生き物も次の世代に向けて命をつなごうとする。
でも人はどうなのか。今は多様性を重視する時代。
いろいろな価値観、いろいろな生き方があっていい、とみんながいうようになった。

確かにそれはそうだ。
だけど次に生まれてくる人々のために、
普通に種を保存し命をつないでいく責任もあるような気がする。

リンドバーグ夫人の「海からの贈り物」

例えば、砂浜で生まれた亀の赤ちゃんたちは、
必死で、海に向かって歩いていく。

そうして命をつないでいくことを、本能的に知っているのだ。

でも、人は、そんなの知らない。私の勝手だという。
かつての自分がそうだった。
自分一人で生きていくんだ、と思い込んでいた。

「翼よあれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグの妻、リンドバーグ夫人には「海からの贈り物」という著書がある。

当時、リンドバーグ夫人は50歳。
一週間海辺で過ごし、人生の黄昏期に向かう前の時間を過ごしていた。
壮年期のような勢いはないが子育ても終え、これまで味わったことのない実りの多い時間だった。
そして砂浜に落ちている白い貝殻や、打ち寄せる波を見ながら考えたのは、
海からの贈り物、つまり命の起源についてだった。

私たちは、海から命をもらったのにそのことを忘れている。
命について考える時間もない。みんな自分の生活を守ることに必死だ。
今はだれもあえて命について考えようとしない。
なぜだろう。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
ほかにも日々の思いを書いていますので、
お読みいただけましたら幸いです。

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