ルッキズムの話になると、必ず名前のあがるのが赤い鼻をした末摘花の姫。それで彼女が不幸になったかというと・・・

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「源氏物語」を読んでいると、美男美女ばかりで怯んでしまうが、その中で決してこちらの劣等感を刺激しないひとがいる。それが、「末摘花」の姫だ。

「源氏物語」で、ルッキズムの話が出ると必ず彼女の名前があがる。
まるで、不細工=末摘花 とでもいうように。

平安時代の貴族は女性の家に通っていても、夜だし、灯火も暗いので、なかなか相手の顔を見ることができない。

顔を見て源氏は、あっと驚く

ある朝、雪を見るために末摘花の姫は部屋から外へ出てきた。
そのお顔を見て源氏は、あっと驚く。
鼻が像のようにだらりとし、しかも先端が、末摘花 (赤くて香料にも使われる) のように赤いのだ。

その上、感受性の面でも一寸とろい。和歌も満足に詠めず、着物のセンスもいまいち・・・という、ないない尽くしの姫なのだ。

けれど源氏は、この赤い鼻をした末摘花の姫を、最後まで見捨てなかった。その上、のちのちには自分の広大な邸に呼びよせ、住まわせたりするのだ。

これが、貴族性っていうか、源氏のお育ちの良さなのだろう。それはともかく、「末摘花」は不幸ではなかったし、むしろ並みいる美女の中でも幸せになったほうだろう。

美人が不幸になる不条理

一方、美しく高貴な六条御息所や、葵の上、、そして夕顔は、幸せになるどころか生き霊に悩まされたり、早死にしたりとさんざんなのだ。あまりにも不公平ではないか。

なんのための美貌・・・?
美しさと引き換えに不幸、そして醜さの代償として幸せをあたえるなんて、

皮肉としか思えない
私的には、末摘花のこせこせしない大ざっぱさが、貴公子源氏を引きつけたのかな・・・とも思うが、ここが人の運命の不思議さというか、不条理なのだろう。

顔の美醜はともかくコセコセせず、大らかに生きていれば、そのうち福がくるよ、というのはなんとなく納得できる。

実際のところ、若い頃の友人とかいろいろ考えても、あまり顔は関係なかったか・・・などと伊思ったりします。ルッキズムというのは、その言葉を意識するところから始まるのかもしれない。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも関連記事を書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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