「よきかな源氏物語」1/18から嵯峨嵐山文華館/近くには光源氏のモデル源融ゆかりの地も
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
いよいよ大河で「光る君へ」が始まりますね。
それにともない、さまざまな特別展やツアーが開催されるようです。
この印象的なちらしは、
連休に帰ってきた次男さんからのもの。
「よきかな源氏物語」
1/18~4/7 嵯峨嵐山文華館での開催です。
常設展の「百人一首ヒストリー」も魅力ですが、やはり今は源氏物語への関心が先走ります。
この嵯峨嵐山は明石の方が、娘の明石の姫君と住んでいたという設定。
また、近くにある清涼寺は、
光源氏のモデルになったとされる、
源融 (みなもとのとおる) の山荘跡とされます。
源融は、嵯峨天皇(第52代)の第8皇子ですが、
臣籍降下して源氏姓になりました。
ここも光源氏との共通点ですね。
融は、陽成天皇の御代、
下位の藤原基経が摂政になったことに失望、
職を投げ出して、邸にひきこもってしまったそうです。
そして現在の清涼寺をつくり、河原院で風流三昧の生活を送ります。
ほんとうに趣味人の生活そのもの。
広大な邸の庭を、陸奥塩釜の景色に似せ、
そればかりか、毎日海から海水を運ばせ、塩焼きのまねごとをしていたようです。汗;
六条にあったこの邸は広さといい、規模といい源氏物語の六条院そっくり。
この邸はのちに息子の昇から宇多上皇に献上されます。
幽霊にまでなってしまう憐れ
ところでこんなエピソードが・・・。
宇多上皇が河原院に住まわれていると、ある夜、融の幽霊が現れて、
自分の邸だからに出て行って欲しいと懇願します。
負けない上皇さま。
「おまえの息子に献上された邸だ!」と言い放つと、
幽霊は、あきらめて消えてしまったそうです。
〈今昔物語巻27の第2話から〉
光源氏のモデルともされた源融ですが、のちには、こんなつらい話となり憐れを誘います。
紫式部はそんな人の運命の不思議さをもののあわれとして、
描きたかったのではないでしょうか。
「陸奥のしのぶもちずり誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに」 源融 (百人一首 14)
ぜひ、この近辺をゆっくり散策してみたいですね。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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