西国三十三所観音巡礼は、花山法皇が自ら歩いて復興させた癒やしの旅

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

第1番札所 青岸渡寺 (画像は、日本遺産ポータルサイト からお借りしました)

最近よく終活ということが言われる。
この言葉が苦手だ。
終りは活動しなくても自然にやって来る。むしろ大事なのは、静かにその時を迎える心の準備をすることではないかしら、と思って・・・。
残しておきたい感謝の言葉や、事務的な手続きはむろん大事だし、納得できる範囲でやっておけばいい。

大切なのはそのあとの心の持ち方だろう。昔の人々はどうだったのだろう。きっと昔も今も、同じように心の不安や寄る辺なさを感じていただろう。

そんなとき、人々がすがったことのひとつに、「西国三十三所観音巡礼」があったという。文化庁の日本遺産ポータルサイトによれば、この巡礼は1300年ものあいだ続いている。

観音様の慈悲にふれる癒やしの旅

「四国八十八カ所」とちがって、お遍路さんとはいわない。修行というより、観音様の慈悲にふれる癒やしの旅なのだ。

「観音は、『観音経』のなかにその功徳が説かれ、生きとし生ける者のために33の姿に化身して人を救い、その人がどんな苦難に遭っても救う」
そのやさしさに、きっと多くの日本人はすがり、救われてきたのだろう。

今はすっかり出不精になっていて、仕事や雑用以外あまり外出しないが、できればこの「西国三十三所観音巡礼」には行ってみたいと思う。

この巡礼は養老2(718)年、徳道上人によって始められたという。

自ら歩き巡礼を復活させた花山院

いっとき廃れてしまっていたが、それを復活させたのが、現在大河ドラマ「光る君へ」で、がぜん注目されている花山法皇である。

法皇は夢のお告げに導かれて、自ら三十三カ所を歩み、巡礼を再興させた。
各霊場では木札に和歌をしたためて寺におさめ、そこから参拝の際に名前を書いて奉納する習慣が生まれて、札所と呼ぶようになったのだという。

花山院のくるひ」とも言われ、19歳の若さで退位を余儀なくされた花山法皇。だまし討ちに遭ったような退位だった。三十三カ所を巡りながら何を思われただろうか。

不幸な境遇の中で悩みをもちつつも、やがては無垢な魂で現世をこえた心境に達せられたのではないだろうか。
花山院が霊場各所で詠まれた歌は、ご詠歌となって人々に歌いつがれている。


昔より風にしられぬともし火の 
光にはるる長き夜の暗           花山院

花山天皇が出家された京都市山科区北花山河原町にある元慶寺(がんけいじ)は、西国三十三所番外札所となっている。

西国三十三所》地図

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
下記の関連ブログ記事もご覧くさい。

☆光る君へ、一条天皇役は塩野瑛久さんに決まりました。本郷奏多さんの花山天皇も楽しみ。「花山天皇のくるひ」ともいわれた悲劇の天皇です

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