ツグミ団地の人々〈二人の散歩11〉

 磨りガラスの外側に、ドアにもたれるようにして人が立っているのが見えた。そしてよく見ると、しわくちゃのおばあさんの顔が、精一杯店の中の者たちに向かって笑いかけていた。

「あら、いやだ。母さんが来ちゃったわ」
 里子があわてて立ち上がり、ドアの方に向かった。里子の母親の村田さんだった。                  

 晩婚なので澄子よりかなり年上にしても、10数年前とは様変わりするふけようだった。痩せたマッチ棒のような体にスカートをまきつけるようにはいてよく団地の商店街を歩いているのを見かけた。
 近所の悪ガキどもが、後ろからついていく。見かねて、商店の店員が店の中に引き入れる。よし子が慌てて迎えにいく。年中そのくり返しだ。

「ここにも、ときどきふらりと顔を見せるのよ。数日前なんか新聞から顔を上げると、黒と白の格子柄のてかてか光るワンピースを着たばあさんがガラスごしに、お客さんたちに向かって女王へいかみたいに鷹揚に笑いかけていたの。リボンのような大きな襟が広がって、まるでしわくちゃのピエロ人形のようにも見えたが。

「いらっしゃい」
 美佐子が、祖阿の横に立ったドアを開ける。客たちも心得ていて、にやにや笑ったり、慌てて立ち上がって席を譲ったり。

 里子が怒ったような顔で走りより、ばあさんの手を引いてすぐに店の奧へと連れて行った。腰を降ろすやいなや、ばあさんはすぐに娘に訴え始める。
「きのうから、あたしの銀行のおつうちょが見あたらないんだけど、あんた知らないかい」
 里子はそっけなく、「知らないわよ」と言う。 

「ほら、きょうは甥の圭ちゃんがくる日だろう。だから、お菓子ぐらい用意しといてやろうと思ってさ。あの子はあんこ玉が好きだからねえ、五つでも、六つでも食べてしまうのよ。この前家に泊まったときなんてさ、急に虫歯が痛み出して――お休みの日だったろう。開いてる歯医者を探すのに、難儀したわよ。そうそう、あの子は八朔も好きだったね。それも買っとかなきゃ、そう思って外に出ようとしたら、ないじゃないの、財布が。しまった、またあんたに取られたか、って思ってね――」

「財布なら、母さんが自分でちゃんと茶箪笥の引き出しにしまってるでしょう。それに、圭ちゃんが泊まりにきたのは三十年前よ。それから八朔が好きだったのは圭ちゃんじゃなくて、孝ちゃんでしょ、二十六年前に川に落ちて死んだ」
「あら、そうだったの」ばあさんはびっくりする。
「いろんなことがあるねえ」
「ほんと、人生いろいろだよね」
 手にはさんだ皿を、きゅっきゅっと布巾で拭きあげながら、マスターが顔を上げて言った。
「じゃあ、圭ちゃんはきょうはこないのかい?」

 ばあさんはまたすぐに言う。
「これないわよ、圭ちゃん会社だもの。それにあのひとは、課長だから会社でも忙しくて大変なの。いろいろあって。車のハンバイジッセキもあげないといけないし」
「おや、かわいそーにねぇ、あんないい子なのに。会社でひどいめにあってんだろうか」
「だいじょうぶよ。ちゃんと、立派にやってるって」
 明るい声でなぐさめる

「二歳年下だけど、泊まりにくると、あんたのことしたってねえ、くっついて歩いてたよ」
 今度は黙って、何度もうなずいている。

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