ツグミ団地の人々 〈レモンパイレディ 16〉

  それから間もなく妄想がひどくなったということで、誰かが引き取りに来て、そして車でどこかへ行ってしまった。
 あの女の子の人形もどうなったのかわからない。たぶん岡田さんと一緒に行ったはずなんだけど、その後も隣にあの子がいるような気がして、僕はベランダからこっそりと覗いてみずにはいられなかった。けれど青いカーテンの向こうは、いつもひっそりと静かだった。
 そして、僕はいつか岡田さんのことも、人形のことも、もちろん、女子おじさんのことも忘れてしまった。

 なぜ「レモンパイレディ」からこんな連想になったのだろう。時間はすでに深夜近い。
「それで、おまえたち結婚するつもりなのか」
 山野がふと顔をあげて言った。あまりにも決まり切ったことを言うので、僕はあきれた。
「文香は・・・・・・」
 と山野はいう。文香、と呼び捨てにすることにむっとしながら、気づかないふりで僕は言う。
「そうだけど」
「あいつは一度自殺しようとしたことのある女だ。失恋した相手は取引先の・・・・・・」
 そのとき、僕のアパートの部屋で、ケーキを前にしてすわり、僕をじっと待ち続けている文香の小さな姿が目に浮かんできた。
「もちろん、知ってるさ」
 僕はちっとも知りはしないのにそう言った。
 見上げれば、遊具に開いたいくつもの穴が暗い街頭の中に浮かび上がり、まるでそのひとつひとつが中に生き物を宿し孵化しているように思われた。
 僕があまりに怖い顔をしていたからだろう。
「冗談だよ。冗談」
 山根は慌てたように言った。僕はそちらを見もしなかった。
 それから立ち上がると、急いで文香の待っているアパートへ向かった。もう二度と幸福が逃げないように、そう念じて急いで夜の道を走って帰ったんだ。  

了                    

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