関白になり聚楽第を建て得意絶頂の秀吉だけれど母親の目には化け物にみえていた。けれど評価できるとすれば・・・。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

大河「どうした家康」ですが、秀吉のムロツヨシさんはじめ、個性的で演技のお上手な俳優さんがそろっていて楽しく拝見しています。先日見ていたら、秀吉の母親役、高畑淳子さんの大政所の演技に見とれてしまいました。

家康に人質にとられ、家康家中をハラハラさせ通しだった仲さま。すっかりお気に入りにされた井伊殿もさぞ驚かれたことでしょう。

そして、ついにはわが子秀吉について「わしは化け物を生んでしまった」などの思いを言ってしまう。冷汗;

ところで家康が聚楽第に来たちょうどそのころ、
秀吉は、いつの間にかイエズス会の領地になっていた長崎を同会から没収した。というのは、いつの間にか長崎が植民地政策の拠点にされようとしていたからだ。

その時、秀吉が長崎を取り上げなかったら、そこを拠点にして日本は西洋の植民地と化していたかもしれない。この点については大いに評価すべきだろう。キリスト教禁止令についても同じだ。

その後、甥の秀次を切腹させ、その妻子30人を処刑するなど、母親が言うように(予感したように)徐々に「化け物」と化していくのだが・・・。

この頃は、藤原氏以外にはなれない関白となり、京都に築いた「聚楽第(じゅらくだい)」にも御陽成天皇に行幸していただくなど、秀吉得意絶頂のときだった。
秀吉も少しは丸くなっていたはずだが、母親の目にはそんな息子の姿が空恐ろしいものに写っていたのだろうか。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

by
関連記事