いろいろ言われる秀吉ですが、これは日本を救ったなあ、と思えること

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

大河「どうした家康」、秀吉のムロツヨシさんはじめ、個性的で演技のお上手な俳優さんがそろっていて楽しく拝見。

ほぼ全国を平定し、藤原氏以外にはなれない関白となり、
京都に築いた「聚楽第(じゅらくだい)」に
御陽成天皇に行幸していただくなど、
秀吉得意絶頂のころです。

家康を聚楽第に招いて、
おのれの権威を見せびらかすなど、
なんて嫌みな・・・と思いますが、
ちょうどそのころ、日本にとって決定的に重要な
ある決定をしてくれていました。

それはイエズス会領地になっていた長崎を
同会から没収したことです。

宣教師の布教活動にともない
いつの間にか、長崎が植民地政策の拠点にされつつあったのです。

秀吉がそんな決断をしなかったら、

日本は西洋の植民地になり、
今の日本はなかったかもしれませんね。
その後
甥の秀次を切腹させ、妻子30人を処刑するなど、
「化け物」と化す秀吉ですが、
この点については、秀吉に感謝すべきかもしれません。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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