年の離れた女性との恋~平安時代も今も変わらない

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

平安時代後期の歴史物語「大鏡」。文徳天皇の850年~後一条天皇の1025年までの歴史が書かれています。

その中に藤原朝光(951~995年)について書かれたところがあります

閑院の左大将 藤原朝光は関白太政大臣藤原兼通の四男。
父に愛されていち早く出世し、美しい上に品のある当代きっての貴公子でした。その上、彼には、美しい北の方がいました。この方は親王の姫君という高いご身分で、早くに結婚し可愛い子供までうまれていたのです。まあ、だれが見てもお似合いのカップルといえるでしょう。

ところがある日、朝光は四十過ぎの一度結婚した女に恋をしてしまいます。女は朝光の親のような年齢でした。しかも大鏡によると「色黒でシワがあって」ともうめちゃくちゃな書きようです。

朝光は金に目がくらんだ?

そして大鏡では、朝光が金に目がくらんだのだ、と断定しています。
そうでしょうか。朝光自身がもともと金持ちの上に異母姉の中宮からも遺産を受け継いでいるような結構な身分なのです。

別に金持ちの女を見つける必要などなかった・・・?

女は、朝光の衣服を冬は炭火の伏籠に乗せてあたため、まめまめしく世話をしたといいます。そして自分はろくな衣裳も身につけなかったそうですが、女房たちには美しい衣裳を着せ、朝光がくると華々しく歓迎させたようです。

まあ、今でも、「旨い食事を食べさせてくれる」女性が人気ですから、この年上女性のプロデュース力には並々ならぬものがあったのでしょう。
きっと朝光は年上妻に大事にされて、ほっこりと幸せに暮らしたのでしょうね。それは、気位の高い美人妻のそばにいるより、彼にとってずっと幸せだったのでしょう。

24歳年の差婚 仲の良いマクロン大統領夫妻

画像は PRESIDENT Online からお借りしました。

思い出すのは、フランスのマクロン大統領のロマンスです。マクロン大統領は、学校のころの先生と結婚されたそう。年の差は24歳。夫人は背筋の伸びた美しい女性で、来日した際にもその仲の良さが注目されました。
また知識や教養があり、マクロン大統領のよく相談相手にもなっているようです。

年上の女性がだれでも夫人のようになれるというわけではありませんが、いつまでも美しく、賢くありたいと願うことは大切かも知れないですね。

まあ、なかなか難しいでしょうが、それが自分も相手をも大切にするということかもしれないですね。
いっそ朝光の妻のように、尽くしきってあげるというのも悪くないのかも知れません・・・。笑

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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