ツグミ団地の人々〈小鳥が逃げた 8〉
数週間ほどたった日曜の午後、茂夫は奈々連れて外出し、小鳥の巣箱を買って帰ってきた。
父親は、鳥たちをいったん別の小さいカゴに移してから、巣箱を新潮にカゴの中に取り付けていった。その手つきはまるで決められた手順でもあるように正確で狂いがなかった。奈々が父親の動作をいちいち目で追いかけている。
「小鳥は家がないとタマゴをうまないんでしょう」
「そうだ。たくさん産むといいな」
茂夫がのんびりと答える。
「ヒナがうまれるでしょ。そしたら、あたし、手の上でえさを食べさせてあげる」
娘の小さい顔が午後の日の中に白く輝くのを母親は見た。
遅い昼食をすませた後、洗い終えた皿を拭きながら、美佐子はキッチンカウンター越しにベランダの方を見ている。鳥たちは巣箱に少し慣れたようだ。オスは侵入物を無視することに決めたらしく、羽の間に嘴を埋めてまどろんでいる。
メスはじっとしながらも、まだ警戒を解いていない。目を閉じても寝たふりだけだ。美佐子はひとつ溜息をついた。
「姉弟なのに」
「べつに、小鳥なんだからいいじゃないか」
夫は答えた。
「おまえ、何をこだわってるの」
そしていつものやりとりが始まる。けれど、そこは決定的に手をつけられない何かがある。言わずにいることで多くの事柄は、了解事項になる。
姉鳥は弟をもてあまし、いつも少し苛立っている。巣箱はそんな羽鳥に対する人間の裏切りだった。
茂夫はある日、物置から籐のいすを出してきてベランダに置いた。五年間しまっておかれたいすは色が褪せ、巻が甘くなっていた。茂夫はそれに腰を下ろすと、煙草の煙をくゆらし新聞を読み、時々顔を上げて鳥たちに目をやった。
ふいに、あっと言って立ち上がり、鳥かごを覗き込んだ。止まり木にとまったままで、たった今、姉鳥が尾羽の下からぽとりと卵を産み落としたのだ。卵は下に落ちてころころと金網の上を転がり、姉鳥は首を傾げてそれを見送った。
茂夫はシャツの袖をまくり上げると、腕を鳥かごの中に入れて卵を取り出した。殻は思いがけず柔らかだった。茂夫は今度は潰さないように慎重に指先にはさんでカゴに戻し、巣箱の中央に置いた。
「中に入って、メスが育てるかもな」
鳥たちは止まり木の端に嘴を寄せ合い、メス鳥は癇の高ぶった様子でククククと低く鳴き続けている。茂夫のやることを気にしながらも、巣箱に入ろうとはしない。
「おーい、奈々、見てみろよ。今な・・・・・・」
「卵、うんだの」
奈々が走り寄り、鳥カゴに顔をすり寄せて覗き込む。
「チッチ、育てないとダメだよ」
けれど姉鳥は、その翌日も翌々日も巣箱には寄りつかず、卵は箱の中で朽ちていった。
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