「団地のふたり」(藤野千夜)。50歳、育った団地に舞い戻ってきた、幼なじみ2人のゆるく楽しい暮らし

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

「団地のふたり」(藤野千夜、U-NEXT)

築60年の団地に住む幼なじみの二人。奈津子とノエチ(野枝)。二人はここで育ち、1度団地を出たけれどわけあって戻ってきた。

奈津子はイラストレーターだが、今はフリマアプリで収入を得ている。ノエチは大学の非常勤講師。ノエチは週に3、4回は奈津子の部屋に顔を出しくつろいでいく。一緒に食事をしたり話したり映画のビデオを観たり。
奈津子が通販サイトで野菜を食べきれないほど取り寄せるのも、半分ノエチにあげたいから。

二人には幼くして亡くなった空ちゃんという友達がいる。この子は、今も二人のそばに影のように寄り添っている。古い団地と、小さい女の子の記憶。それだけで涙腺がゆるんでくるが私自身40年来、団地に住んで、団地で子育てしてきたからかもしれない。

団地では、きっと他の地域より、子どもはみんなの子どもみたいな意識がある。
だから佐久間のおばちゃんは、「なっちゃーん」と気軽に声をかけ網戸の修理を頼んだり、宅配ピザを振る舞ったりするのだ。

二人は50歳になるけれど、その関係は少女のまま。空ちゃんもいつまでも小さな女の子で、二人の遊び友達のまま。住民たちはみんな朽ちてゆく団地に封印された、懐かしくも哀しい運命共同体なのだ。
そして奈津子がせっせとフリマアプリで売っているのは忘れられた品々であり、彼らの記憶の遺品なのかもしれない。

食べ物の記述が多いのも楽しみのひとつ。どうってことないマグロの鉄火丼や、野菜の肉巻き、きのこの味噌汁がやけに美味しそうに感じられる。ものを食べることが人間の営みそのものだからだろう。たとえ取り壊されるかもしれない古い団地の中にいるにしても。
それが人が生きるということなのだ。

私が、じーんとしてしまった、ノエチと空ちゃんのお母さんの会話。

「空ちゃんはやさしいから、そういうとき、いいよ、って言うんですよ。自分が損しそうなことでも、いいよって」
「うん、呑気な子だからね」
 四十年も前になくなった娘のことを、お母さんが目をきらきらとさせて言う。

また、中学の時、保育園の前で、奈津子がノエチに言ったことば。

「ずっと空ちゃんがここにいて、遊ぼうって言ってる気がするね」

それがきっと、この日だまりのような古い団地の一室で「のほほんと気楽」に生きつつ、二人がここに住み続ける理由のひとつなのだ。大好きだった幼なじみの女の子と三人で。

久しぶりに読んだけれど、藤野千夜さんの世界はゆるいようで、せつなく温かく、心をわしづかみにする。ぜひ手に取って読んでみてください。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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