自分の分をわきまえ子に希望をつないでいく、という生き方も。
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

以前、随筆やエッセイが苦手だと書いたのですが、なぜか手元に
「日本の名随筆 家族」(久田光彦編)という本があります。
ときどきめくって見ているのですが、昨夜たまたま読んだのが、
尾崎一雄の「男児出生一」という随筆でした。
尾崎一雄と言えば、『暢気眼鏡』で有名です。
また、この作品で芥川賞も受賞されています。
大病を患って苦しい療養生活の中、死を見つめながらさまざまな心境を綴られたようです。
そんな尾崎一雄の随筆「男児出生一ですが、この中で、
子を持つということの意味をいろいろに考察されています。
友人たちはみな若いうちはなんとなく、子など欲しがっている様子はなかった。けれど、
30半ばを過ぎたころになると、
「子のない友人たちは、何となく淋しそうにしている」
ということです。
それはなぜでしょう。
まあ、子がいたほうが賑やかと言うこともあるでしょうが、
自分の人生に限界を見るころになると、
人は、その希望を子に託すのではないか、
というようなことを書かれています。
また、
これは180度別の話なのですが、
有名な、『日出処の天子』(山岸凉子)の中では、
天才で超人の厩戸皇子のお子たちは、
皆悲劇的な最後を迎えます。

この作品の中では、厩戸皇子が鬼才ゆえに
それを受け継いだお子が、普通から外れてしまう、
人として一般人の生活ができなかった、と
悲しいことですが、そのように受け止めました。
考えて見れば、子を持つことは、
最高に幸せであり、最高にスリリングなことなのかもしれません。
でも確かに、人はその経験、試練によって人として大きく成長させられます。
それが、
尾崎一雄が書いているように、
自分の分をわきまえて、子に希望をつないでいく、ということなのかもしれません。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
ほかにも色々書いていますので目を通していただけましたら幸いです。










