同時代最高の文学「源氏物語」は謎だらけ。いったいだれが書かせたのでしょう?
こんにちは、ゆきばあです。
来年の大河は紫式部が主人公の「光る君へ」ですね。まさか、紫式部がドラマ化するとは・・・と驚いていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
ドラマの舞台はほとんどが宮中や、紫式部の邸などになるのでしょうか。またあの引きずるほどの長い髪はどうするのか、衣裳は重たい十二一重らしきものなのか・・・。
いつもそんな衣裳を身につけていたら、女優さんはさぞ大変なことと思います。
紫式部の身辺のこととしては「紫式部日記」が有名です。
清少納言の悪口は思わず筆がすべった?
「紫式部日記」は、「漢字ができるのを鼻にかけて・・・」と例の清少納言をくさすところが有名ですが、ほか印象的なところの多い日記で、各場面もとても素敵で情景がスポットライトを浴びように浮かび上がってきます。
さすが紫式部の文章力ですね。
本心がどこにあるのかわからなかったり、生々しかったり、わざとぼんやりさせたり・・・。
千年を飛び越えて、ひとりの女性の心が身近に迫ってくるところにも感動させられます。
このころは、娘の高子(たかいこ)ちゃんがすでに10歳前後のはずですが、愛娘の名前などおくびにも出しません。さすが、宮廷の元祖キャリアウーマン(私の若い頃はこう言っいた。憧れでした)
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始まりは秋の気配の忍びよる道長邸です。
お産を控えた彰子は道長邸に里帰りしています。ひとつの房を割り当てられた式部。
身重の彰子が心の中の重荷をなるだけ外に出さないように健気にふるまう様子に、式部は心を動かされて、彰子を大切に思う気持ちはつのるばかりです。
朝露の庭で女郎花を歌えと道長
ある朝、自分の房で目が覚めて、なんとなくボーッとしていると、外のお庭で話し声がします。御簾ごしにのぞくと、道長公が下の者に指図して池をきれいにさせているところでした。
こういうところにも采配をふるう道長に感心して見ていると、ふとこちらに気がついて、近づいてきました。そして御簾の上から女郎花を差し入れるのです。
そして、「早く、歌をつくってごらん」といいます。
ろくに化粧もしていない式部は恥ずかしく思いながら、これ幸いと奥の硯の所に駆け込みます。そしてすらすらと和歌をつくりました。
女郎花さかりの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ
(美しい女郎花を見るにつけ露をまとえないわが身のなさけなさよ)
「なんて早いんだ」
道長は笑い、硯を持ってこさせると書き付けました。
白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらん
(露は区別なくおりるものだ。女郎花は自分から美しくなろうとしてるのだよ)
ここはかなり意味深ですね。
高貴な方に突然歌を詠むように言われてどきまぎする式部、という解釈がほとんどだと思います。
けれど実は、すでに道真とも親しい仲になっていて、おなじみの式部を見つけて冗談を仕掛けたという考え方もあるようです。
いったい、どちらなんでしょう。謎です。
「源氏物語」誰が書かせたのか
だいたい「源氏物語」は謎が多いですね。
なぜあれだけの長い物語をひとりの女性が書き続けられたのか。また、当時貴重な紙をなぜあれほど豊富に使えたのか・・・。そんな疑問から浮かんでくるのは背後にいる強大な権力者です。
その人は、式部が書き進めるのを励まし、サポートし続けたのではないでしょうか。
権力者イコール道長とすると、当時二人は、そんなよそよそしい関係ではなかったはずです。
「紫式部日記」はすぐれた文学作品ですが、もう一つの興味は、当時の権力構造や貴族社会を間近に見せてくれるところです。まるで女性週刊誌を見ているような感じもあり興味が尽きません・・・。(すみません。個人の感想です m(_ _)m)
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。