季節や自然ととともに生きた中世の人々にとって生も死も、今よりもっと自然なものだった?
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
コロナ禍以来、家族葬が増えているようです。
「最低79000円でできる家族葬」とか見ていると、人の命はずいぶん安くしまえるのだな、と感心します。
私も家族葬でいい。といっても、自分に一番身近なことなのに、自分が関与できないのですね。
もう口出しもできないから。このうるさいばあさんがいないと、ずいぶん物事がスムーズに進みそうです。
最近よく眠る前に「源氏物語」の朗読を聞いています。風雅で美しい文章の流れに耳を傾けていると心地よく夢の世界に入っていけます。
心地よすぎて結構すぐ眠ってしまいますが (笑
そして思うのは、源氏物語は希有な主人公を中心とした華やかな宮廷絵巻物の世界ですが、同時に、人の死を描く物語でもあるような気がします。紫式部は一人ひとりの死をとても丁寧に最上の敬意をもって描いています。
源氏は幼くして母の桐壺更衣を亡くします。さらに憧れの女性だった藤壺女御、正妻の葵。そして何よりの心の痛手だったのは永遠の女性、紫の上を43歳の若さで亡くしたことでしょう。
余談になりますが紫の上は43歳にしてすでに何人もの義理の孫がいました。今の私たちには、信じられないくらい、みんな若くして「おばあさま」になっていたのですね。
今の日本は晩婚がすすみ、43歳で初めて子を持つ人も少なくありません。それががいいのか悪いのか。
なかなか子が生まれないように、私たち高齢者もなかなか歳をとれないようです。
あれをしなくちゃ、これをしなくちゃと毎日バタバタしていて、ハッと自分の歳に気がついて「私はいったい何をやっているのだろう」とがく然とすることがあります。
季節や自然とともに生きた平安時代の人々にとっては、生も死も今よりもっと自然なものだったのでしょうか。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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