二度と悪に手を染めなくてすむように/父のあとを継いだ泰時の徳の高さはどこから?

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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ついに「鎌倉殿の13人」が最終回を迎えましたね。寂しい・・・。
そしてまるで、運慶が義時をモデルにした仏像のような醜く、凄まじい姿で死んでいった義時(小栗旬さん)。

救いは、「もう二度と悪に手を染めなくてすむように・・・」という姉、政子(小池栄子さん)の哀れみの心でしょうか。


そしてもうひとつ、「あの子(泰時)は八重(新垣結衣さん)に似ている」という言葉。これも救いですね。義時と八重の子がこれから鎌倉を救うのだということ。
つまり泰時は八重の分身であり、かけがえのない宝だったということですね。

ところで、悪に染まった父義時の悪行を消し去り、父を地獄から救い出そうとでもするように、後ほど泰時は京都高山寺の高僧、明恵上人の教えを受けます。
その教えを反映させるようにしてできた御成敗式目は道徳的にも高く、まるで今でもその影響を受けてるのではないかと思えるほど。

貞永元年(1232年)の制定で、最初は35条だったものが後ほど付け加えられ51箇条になりました。

ほぼ完璧。まるで暗黒の中世から抜け出すような整った内容です。領地争いから、相続、けんかの成敗・・・そして人妻との浮気(!)も禁止するなど、日常生活にも影響をあたえています。

暗黒の中世にどうしてこれができたのか?
この道徳的な高さは、後ほど泰時(坂口健太郎さん)が教えを受けた、京都の高僧、明恵上人の思想を取り入れたのではないかと言われます。

明恵上人の教えから

承久の乱後、京都で敵方の残党をつかまえた際に、泰時は明恵上人に出会い、その後、教えを受けることになります。きっと多くの影響を受けたことでしょう。
明恵上人といえばはたいへん徳の高い僧で、「自分の修行が足りない」とばかりに自分の耳を切り落とすまでの凄まじい修行を積んできた方です。

また同時に、毎夜見た夢を綴り続けたという一寸風変わりな僧でもあったようです。
ぜひこの方の生きたお姿を拝見したかったものです。
いずれ泰時や明恵上人を中心に歴史ドラマをつくってくれないものでしょうか。

京都の高山寺。次男さん撮影

写真は、京都の高雄にある高山寺。北条泰時が心のささえにした高僧、明恵上人の創建です。このお寺には、かの有名な「鳥獣人物戯画」もおさめられています。
ぜひ一度訪れてみてください。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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