若宮大路「一の鳥居」の向こうに広がる海。そこは和田義盛の終焉の地となった由比ヶ浜
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
「近頃、調子に乗ってるようだな。少し灸をすえてやろう」
後鳥羽上皇(尾上松也さん)のこの一言からすべてが始まった。
今回はついに鎌倉のまちが、そして由比ヶ浜が戦場になってしまった。
そもそも、不思議な事件、「泉親衡の乱」に和田義盛(横田栄司さん)の息子たちと、甥が加わっていたことが発端。乱の鎮圧後、息子たちは許されたが、「かわいい」甥は処罰されることに。
義盛は一族98人を引き連れて御所を訪れ嘆願。和田一族勢ぞろいの図である。
けれど甥は引っ立てられ、メンツをつぶされた義盛は深く義時(小栗旬さん)を恨むことに。
鎌倉最大の抗争となった和田合戦
その少し前だが、占いばば(大竹しのぶさん)のもとを訪れた実朝(柿澤勇人さん)に、「由比ヶ浜に髭づらの首が並ぶ」と不吉な予言が・・・。
いやな空気がますます広がる中で、
「北条ばかりが得をする。そんな世の中を俺たちが変えるのだ」
と、アジテーター三浦義村(山本耕史さん)。何を考えているのだろう・・・。
「和田をたきつける、いい手を思いついた」
これも、さすがの黒義時。
「弟の考えることくらいお見通しよ」
と、余裕の尼御台(小池栄子さん)。
そんな中、いよいよ状況は切迫し、北条の奥の手(?)も効かず、鎌倉最大の抗争「和田合戦」が始まってしまう。
和田一族の命運が由比ヶ浜で・・・涙
夏には海水客でにぎわう由比ヶ浜
ところで「一の鳥居」の向こうに広がる海は鎌倉のもう一つの顔として人気が高い。この由比ヶ浜へは、車や江ノ島電鉄で行くのが普通だが、鎌倉駅から徒歩で向かうこともできる。
鎌倉駅を出て信号を右へ。鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで、約1.8㌔の参道「若宮大路」を、まっすぐいくと、間もなく「一の鳥居」へ。国道134号線を渡ると、海が見えてくる。
今でこそ夏には、ビーチパラソルが並び海水浴客の訪れる由比ヶ浜だが、和田合戦では、多くの和田一族の人々が命を落としたのもここ由比ヶ浜だ。
かつてこの砂浜の上で・・・といろいろ考えると感慨深いものがある。今の平和な時代に生きる私たちは幸せだ。
ところで、この戦で和田一族の多くが亡くなったが、義盛と巴の子とされる朝比奈義秀(栄信さん)は、戦場を出て逃れたとされる。かの有名な朝比奈切り通しを一夜でつくり上げたとされる大力の持ち主だ。
ぜひその後も生き延びて、和田殿と巴御前(秋元才加さん)の意志をついでくれ・・・!と願う。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
コメントを残す