ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ/この言葉に含まれるふかーい意味。
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
朝日カルチャースクールで、元群像編集長の橋中雄二氏から教えを受けたことは前に書いた。
橋中氏は尊敬している作家としてよく、井伏鱒二の名前をあげていた。井伏鱒二といえば、「山椒魚」や「黒い雨」が有名だ。
「黒い雨」は被爆された方の体験記をもとに書かれている。
そしてそれをもとに、あれほどの長編にまとめ上げている。
あの小説によって、原爆について詳しく知った人も多いことだろう。
橋中氏はよく、「井伏先生、井伏先生」と、親しみをこめてそのお名前を口にしていた。「黒い雨」やほかの短編も読んだが、すごくうまい作家と思ったけれど、それ以上の理解はあまりなかった。
あるとき、橋中氏が井伏鱒二について話した。
「自分を殺すことができる。自分というのはたいしたものではないんだ、として書いている。そこが凄い」
ああ、そうなのか・・・確かにそうかもしれない。
ものを書く人は、どうしても自分にこだわったり、個性を出そうとしたりする。
けれど一度、そういうものをぜんぶ取り去ったところから始まる。そういうことなのだろう。
井伏鱒二が、唐の詩人、于武陵(うぶりょう)の漢詩「勧酒」を、日本語に訳したもののなかに有名な言葉がある。
花発多風雨 花ひらけば風雨多し
人生足別離 人生別離足る
井伏鱒二の訳では、
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
このようになっている。
きっと、よく耳にされる言葉ではないだろうか。
最初、こんなに簡単にしてしまっていいのかと思った。けれど25年以上が過ぎた今、
「サヨナラ」ダケガ人生ダ というのは、まさに実感。やさしい表現の中に、人生を言い当てたコワいことばだと思う。
きっと人生の苦みをつくづく感じながら、井伏鱒二はこの訳を選んだのだろう。
ところで太宰治は、井伏鱒二に小説を学んでいた、慕っていたはずなのに遺書の中に、「井伏さんは悪人です」という言葉を残した。これが物議を醸したようだ。
小説家とはきっと、善悪を併せ持った存在なのだろう。小説を書くと言うことは、一筋縄ではいかないことなのだ。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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