「人間っていうのは溜まってくる。悔恨がある。それを最終的に救うような形に」

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こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

人間には悔恨がある。それを救うような形に」(橋中氏の話していたこと②)

「おもしろい話を書いてみたい」
小説を書き始めた数十年前、よくそう思ったものである。
でも、そう簡単ではない。理由は才能がないからである。そして努力も、根気も足りないからだ。
一緒に小説を学んでいたとき、すごく文章のうまい人がいた。あふれるほどキラキラした文章が次々に湧き出てくるのだ。
それにストーリー展開も巧みで、会話もうまい。

「会話にするとね、いくらでも書けるのよ」
と、そのひとは言っていた。

何より凄いのは大胆な表現がシーンの中にしっくりとはまっていることである。

これが才能というのだろうな、としみじみ思った。

現にそのひとは、ある文学賞をとり、有名出版社から単行本も出した。
とてもかなわない。

才能もないのに、ちまちま書き続ける自分はなんなのだろう。
そんなときにも、橋中氏の言葉は勇気をくれる。
「緊張をもって文章というのは残していかなければならない」

「ものを書くことの持続の不思議さ。あるとき、きんとん雲に乗れてしまうんだから」

と、これは・・・。

また、

「人間っていうのは溜まってくる。悔恨みたいなものがある。(すぐれた私小説は)それを最終的に救うような形にしている」

そして、私の好きな富岡多恵子の「冥土の家族」について。

「泣いているが感傷的になっていない」

とおっしゃっていた。

ともすれば、感傷的になってしまうわたしは、その言葉を聞いてドキリとしたのだ。
そして付け加えれば、先ほど紹介した才能あふれる人は、だれよりも努力してたくさん書き続ける人であった。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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