飽きっぽいと思う人はまだ、自分の本質に近づいていないだけかもしれない
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
世の中、なんでもコツコツがんばる方がたくさんいらっしゃいます。けれどわたしは、自分は飽きっぽいなあと、思うことがしばしばでした。
若い頃から、何をやっても長続きしない。そんな自分を、情けなく思っていました。
「自分は飽きっぽいから」
そう思いこんでいるかたは多いかもしれません。けれどむしろ、飽きっぽいのでなく、本当にやりたいことが見つかってないだけかもしれません。まじめであればあるほど、ちょっと違うかなー、と思っても無理してやってしまったり。
我慢ということばは使いたくない
ポイントは、今やっていることが自分の本質につながっているか、漠然と思い描いていた夢に近づけるかどうかだと思います。
わたしは大学に入る前、一生仕事をしたいと思ったので、自分のやりたいことでなく資格をとりやすい学部を選びました。けれどどちらかといえば苦手な分野でしたので、成績もさんざん、興味ももてず、やめるか転部しようかとさんざん悩みました。
卒業後の就職先も、自分にまったく合わないところ。
苦しみの日々でした。ほかのひとが簡単にできるのに、自分にはできない。情けないほどミスも多い。さんざん悩みました。つまり、自分にまったく合わない仕事だったのです。結婚後も、子育てしながらコンピューターマニュアルの翻訳のお手伝いをしましたが、英語ができない上にミスも多い。
自分には、無理だと気がつく情けなさ。その頃から、ささやかな小説やエッセイみたいなものを書くようになりました。
だれかの思いを伝えるのが好き
その流れで地域紙やタウン誌にかかわり、いろいろな人に会って記事を書くようになりました。わたしは対人関係が苦手なので、当初無理かなと思っていました。
けれど途中で気がついたのですが、どうやらわたしは、だれかの思いを文章にして人々に伝えるのが好きみたいです。口ではできないので、文章でおせっかいしたいようなのです。
結構それが、自分の本質に近かったようです。その後、団地生活の紹介や、団地のこれからなどについてもも一冊の本にまとめたりしました。気がつけば、こんなことをもう30年も続けています。あれー、わたしって飽きっぽかったんじゃなかったけー、と思ったりもしますが 笑
あきっぽいと思う人は、自分の本質にまだ近づいていないだけかもしれません。いろいろな要素はあると思いますが、一度きりの人生ですから、やりたいことをしっかりと見極めて進んで行けたらいいですね。
そして、本当に自分の本質に近づくためなら、辛抱もありかなと思えます。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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