人は遺伝子を運ぶ容れ物に過ぎない。たまには遺伝子の声をきいてみよう
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
以前よく聞いた話です。
人は過去から未来へ、遺伝子を運ぶ容れ物に過ぎない。利己的遺伝子ということもよく聞きます。
それって私のイメージでは、遺伝子が生き残っていくために、人の心や体をあれこれ変えてしまうということに思えます。過去から未来へと生き残っていくためには、遺伝子もいろいろ工夫しなければいけないのでしょう。
またその遺伝子をだれが作ったのかとなると答えられません。やはり神のように私たちの想像を超えた存在があるのでしょうか。宇宙の意志といってもいいのかもしれません。人智を超えたところにある、ということでしょうか。
宇宙があって、生き物や人や植物がいる。そこには何かの節理が働いているのでしょうか。それを感じるのは不思議な偶然が続いたり、出会うべき人に出会ったりしたときです。
生きていることに何も意味などない、ただ単に存在してるだけだ、という考えもありますがそれよりは、何かの意味を感じた方が人生はずっと深みが出てくるし、生きることを楽しめる気がします。
それは、人を超えたものに畏れの気持ちをもつと同時に、人としての分をわきまえるということでもあります。
人間には限界があります
私はよく若い人に、
「結婚した方がいいわよ」と勧めます。
人というのは、ひとりでは寂しく不完全な存在だと思うからです。また、我がままで勝手で自分や身内のことばかり考えています。
それに比べて命は短いですが、永遠につながるものといえるでしょう。身体の中にいる遺伝子は、宿主をなんとか生き続けさせ、リレーのように次世代につなぎたいと考えているでしょう。
また、人には分というものがあるように思えます。
もう30年以上前のことですが、ご近所によく初老の男性が長いスカートをはいて女装して歩いているのをお見かけしました。フリルのついたブラウスに、髪は三つ編みにして横で垂らしていらっしゃいました。なよなよと女性的かというと、全然そうではないので不思議なことでした。
商店街の中ですれ違ったりすると、なるだけ視線を向けないようにしていました。奥様はだいぶ前になくなり、
「妻の服がタンスにたくさん残っていて、もったいないので・・・」
と話しておられたそうです。
愛妻家で奥様の思い出に浸るために着ていたのでしょうか。
または一度着てみて、病みつきになったのでしょうか。当時なら、「病みつきにになった」ともいえるのですが、今は「本来の性にもどった」というようです。
常識では考えられないことですが、そんなことを言う人間こそモラルのない人と今はいわれます。
とんでもない不思議な社会になってしまったな・・・とつくづく思いますが、これも年寄りのぼやきと思って下さい。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。