たとえ自分の命といえど、人がどうこうできるものではない。それは人間の分を超えている
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
「なぜ自死はいけないのか」
という相談を、新聞の人生案内で見かけました。
「苦しみからのがれられるなら・・・」
と相談者の女性。
回答者で作家の出久根達郎さんは、
「相手に充分語らせよ。案外、それが自殺防止のカギなのかも」と答えていらっしゃいます。
たしかに聞いてもらうことで安心し、それが生きる活力になるでしょう。人と人との間はやはり、話すこと聞くことが、とても大切なのかもしれません。
バッハのミサ曲を聴いて思った
8日の事件以来気分が晴れなくて、なんとなく鬱々と暮らしています。
そして気がつくと、バッハの「ミサ曲ロ短調」などを聞いているのです。
私はキリスト教徒ではないけれど、信仰と共にこういう曲を聴ける人々は、うらやましいなあと一寸思います。
主 憐れみたまえ
主 哀れみたまえ
聴いているうちに気がつきました。
人が決められることなど、あまりないことに。
人は生かされているに過ぎない。
そして、自殺がなぜいけないのかですが、
それは人間の分を過ぎたことだからではないでしょうか。
命は与えられたものであり、たとえ自分の命といえ、どうこうできるものではない。
あたえられた命を、精いっぱい生きる。それしか人間のなすべきことはないと思います。
それをわかっている人々は、やさしく敬虔で、どこか軽やかに見えます。
まあ、一寸勝手な思い込みで申しわけありません。汗
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
2022-07-19 by
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