民衆の歌を好み、本にまとめた後白河法皇

後白河法皇 ウィキペディアからお借りしました

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

大河ドラマでもおなじみの後白河法皇は、平家や源氏とのかかわりなど歴史上とても気になる方です。そんな法皇は、和歌は得意ではなかったものの庶民の歌がたいそうお好きで、それが高じて民衆の歌を拾い集めて「梁塵秘抄」にまとめました。

この本をもとに、庶民の間でさらに歌が広まっていったそうなので、その功績は甚大です。

若い頃から自由奔放に生きてこられた後白河法皇。「鎌倉殿の13人」でも、不思議な存在感を出しています。
容姿については、美女のほまれ高い璋子(たまこ)さまのご子息とだけ触れておきます (笑

よく院政は、権力と権威の二重構造といわれますが、悪い面だけでなく、院のもとにサロン文化が生まれ、文化や芸術が発展したという側面もあるようです。
院のサロンでは、おのずと歌がつくれて管弦も嗜まなければ・・・と大変ですが、そこに洗練された文化が生まれたのでしょう。

私はこの歌がとても好きです。

遊びをせんとや生れけん
たはぶれせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ

仏は常に在(いま)せども
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ 暁に
ほのかに夢に見えたまふ

法皇が子どもだった頃の純粋な心が伝わってくるようです。

母は、美人の誉れ高かった待賢門院璋子さま。
宮廷を騒がせるようなウワサのあった方で、後白河法皇の兄の崇徳天皇の悲劇もこの母君からうまれたのかもしれません。

よろしければ、こちらもご覧ください↓
後白河法皇の母親は、「平清盛」にも登場した美女 待賢門院璋子(たまこ)さま

待賢門院 璋子(たまこ)さま ウィキペディアからお借りしました

最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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