会いに行ける元祖アイドル 水茶屋の看板娘、お仙

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

江戸時代といまの時代の美人の基準はだいぶ違うといわれています。江戸時代の女子の顔といったら、思い出すのはこんな感じですよね。
引目かぎ鼻。でも江戸は江戸でもその時々で、だいぶ違うらしいのです。

浮世絵師、鈴木春信によって最初に、江戸市中に実在する女性をモデルに絵が描かれたのは、明和5年(1768年)。モデルとなった女性は、笠森お仙。(かさもり おせん)。江戸谷中、笠森稲荷門前にあった水茶屋「鍵屋」で働く看板娘です。いまでいう、ブロマイドのようなものでしょうか。

お仙は、それまでの美人画の女性とは違って、ねっからの素人娘。化粧もろくにしていなかったのに、清楚で、その美貌は水際立っていたそうです。

連日、押すな押すなの参拝客

その絵が市中に出回ってからはさあ、大変。
もともとが、あの水茶屋には、美人がいるぞ、と知る人の間ではそこそこ評判だったのですが、絵が出てからというもの、評判が評判を呼んで、笠森稲荷は連日参拝客でごったがえし、水茶屋鍵屋には、一目お仙を見ようと人々が押しかけ引ききらずだったそうです。

すらりとしたやせ型の清楚なお仙さん、ちょっと困った顔で、けど何食わぬ顔でせっせと働きつづけたことでしょう。それがよけいに可憐で、ますますお客が増えたことでしょうね。こんな美人にかしづかれたら、たいていの人はちょっとどころか、かなり、気分がよくなってしまいます。

秋葉原のメイド喫茶のような雰囲気もあったのでしょうか。それとも会いに行けるアイドルとして、AKBのように、だれにでも愛される身近なアイドルだったのかもしれません。
お仙は、すごろくや錦絵、枕草紙にも表れたというのですから、もう江戸中が、お仙で大盛り上がりだったのでしょう。「向こう横丁のお稲荷さんへ一銭あげて、ざっと拝んでおせんの茶屋へ」と手まり歌にも歌われているほどです。

こうなるとおもしろくないのは、ほかのお茶屋さん。同じように美人を雇って対抗しました。
堺屋のおそでさん、柳屋のおふじさん。おふじは「銀杏娘」とあだ名がついて、お仙と合わせて3美人と称されました。なんだか今の時代をほうふつとさせますね。
「なんぼ笠森おせんでもいちょう娘にかなうまい」などと、人々は無責任にはしゃいだものです。

お仙がいなくなった?

ところが人気絶頂のさなか、お仙はある日、忽然といなくなるのです。美人薄命という言葉があるように、お仙が拉致事件にでも巻き込まれていなければいいな、と気になってしまいます。
その①
鍵屋の当主は実は父親ではなく、零落した名主からお仙を買った。美貌のお仙に懸想し男と出奔すると嫉妬に狂い見つけ出し殺した。という説もあるのですが、これは、たぶん、美女の運命に何かドラマチックなものを連想してしまう浅はかな考えなのでしょうか。
その②
幕府のお役人と一緒になり、10人の子を産んだ。幸せになったんだなあ、良かった、と思う反面、評判の美人の一生として、一面の物足りなさを感じてしまうのは人間のわがままでしょうか。

なおお仙は、黙阿弥の「怪談月笠森」(かいだんつきのかさもり、通称「笠森お仙」)のモデルにもなっています 。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いなど書いていますので、目を通していただけたら幸いです。

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