短篇「生きる歓び」(保坂和志)、子猫を拾う話です。命のギリギリの瀬戸際を見守る「私」。
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

猫について書かれた小説やエッセイは沢山あります。
中でも興味深いのが、
「猫を棄てる」(村上春樹、文藝春秋)
副題が「父親について語るとき」というもの。
表紙は、海辺でダンボールに入って棄てられているような少年の絵。とても印象的です。ほかにも縁側の少年とか、可愛い猫の絵の挿絵が随所にある。(文庫でも同じ絵なのかどうかは未確認です)
作者は、この作品で初めて父親について書いたという。
最初に出てくるのは、父と私が、自転車で孕んだ猫を棄てに行くエピソード。ダンボールに入れて海辺に置いてきたつもりが、帰ってみると猫は先回りして家にいた。驚く父と子。良かったなと思えるところです。こういうところが村上春樹作品の魅力とも言えます。
猫好きの作家は多い。作品に取り上げる方も
夏目漱石の「我が輩は猫である」
語り手でもある、名無しの猫さんは日本一有名かもしれません。
そして、
内田百閒先生の「ノラや」
養老孟司先生が、今は亡き愛猫とひなたぼっこしてる写真なども
見ていると、なぜか感動して目頭が熱くなってきます。
保坂和志作の短篇「生きる歓び」について
こちらを読まれたことはありますか。
これは、思いがけず子猫を拾う話です。
妻のお母さんのお墓参りに行った際に、谷中墓地で産れたばかりの子猫に遭遇します。捨て猫か親が近くにいるのかどうかも分かりません。
ほんの数メートル上の木の枝にはカラスがとまっていて、人間がいなくなったら降りてきて、自分の食事にしようとねらっています。「私」はそのまままにしておけず、妻と相談して保護することにします。
すでに家には2匹いて、うまくなじでくれるかどうかは不透明。その上、この子猫は目はつぶれ、ヤモリのように地面にへたっていて生きていけるのかどうかもわかりません。それでも、それだからよけいに、捨ておけずダンボール箱に入れて家に連れ帰ってきます。
子猫の生命にささげる時間
そこからの奮闘がまたすごい。
子猫は掌の幅くらいの大きさ。ミルクも飲めずお刺身を上げても食べません。
けれど「私」は自分の生活は全部捨てて、ひたすら子猫の面倒を見ることに集中します。抗生物質をあたえ、数時間おきに目薬をさしてやります。
命を救うための真剣勝負です。
やがて、子猫は少しずつですがミルクを飲めるようになり、お刺身も一切れくらい食べられるようになります。
元気になっていく子猫を見守る中で、生命にとっては、ただ「生きることが歓び」なのだと「私」は悟ります。
草間彌生の水玉について
生命との関連で、草間彌生さんの「水玉」について触れているところがあります。草間さんにとって、それを描くことが病気と決別し「生きる」ための格闘なのだと改めて感じさせられました。
仕事もできない、でも子猫の命を見守り続ける時間は、人生の中で何ものにも代えがたい時間なのでしょう。
生きることは一所懸命になること。
そんな大事なことに、あらためて気付かせていただきました。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。ほかにも日々の思いを書いていますので読んでいただけましたら幸いです。










