森茉莉さんの小説に「甘い蜜の部屋」というのがあります。この中で父の鴎外はまるで「愛の、がっこう。」の父のように過保護です
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

「愛の、がっこう。」の話から、妻や娘を力で抑えつけるお父さん、その実娘が可愛くて過保護になってしうまう父親のことを書きました。
ところで明治の文豪、森鴎外には、森茉莉という娘さんがいました。
この娘の森茉莉さんの小説に「甘い蜜の部屋」というのがあります。これはご自分と父の森鴎外とのことを書いた小説のようです
茉莉さんは、お父さんの鴎外に溺愛されて育ちました、その育った家ではまるで甘い蜜の部屋のように、父親の甘く優しい愛情に包まれていたわけです。「お茉莉」と呼ばれ、15歳になってもときどき父の膝の上に乗ったりしていたそうです。
鴎外は大変な文豪なのに娘を愛するときは親馬鹿パパになっている。「愛の、がっこう。」のパパも会社では有能な人なのだろうけど、家では娘が「家を出る」と言っただけで部屋に閉じ込めてしまうという異常行動にでる。
そして、茉莉さんが17歳で婚約し結婚した相手の家もエリート家庭でした。
茉莉さんはお嬢様として育てられ、家事は一切できなかった。鴎外は男の子には厳しかったようなのですが、娘には、結婚したら相手の家で苦労するだろうからと家事をさせなかったそうです。それで裕福な家に嫁がせたのですね。
そんなわけで、ときどき台所の勝手口から母親がやってきては、洗い物などを預かって帰ったそうです。まるでお母さんがお手伝いさんのようですが、こうして娘を守ってきた強い母なのです。
「愛の、がっこう。」でもそうでした。
妻は夫に従っているように見えて、やることはしっかりやる。夫に造反もする。お父さん、ほんとは妻と娘がいなければ、存在することもできないくらい弱い存在なのです。だから娘を理想の女性にすることに注力し、ボトル内に帆船を作るしかない。
妻は何でも聞いてやって、夫に従っているようにみえる。でも娘を閉じ込めるとなったら、お玉で夫を殴りつける妻に変貌するのです。まるで、悪いことをした子どもにお仕置きするように。
ほんとのところ、男性はみんな弱い存在なのかも知れませんね(__;) いくつになっても。だから家庭内で、せっせと高尚な趣味に熱中するのでしょう。
家庭内の些細なことなどに気づかぬふりで。
そして昔は、年頃になると周囲の者が適切な娘を見つけて妻にしてやったものでした。それによって、はじめて男性は社会の中に居場所ができ、くっきりした輪郭をもった一人前の男性になるのです。
けれど今は、だれもそんな役など担おうとしない。若い娘を見つけてきてくれるお節介おばさんもいない。
だから、今の未婚の男性たちはどこかはかなく頼りなげに見えるのでしょうか。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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