人は自分が特別な生き方をしていると思うけれど、多くの人が同じものを聴き、同じように感動してきた。それが慰めにもなる

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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グールドの弾くバッハを聴いていると。今もグールドがいて、たった今、グルードがそれを奏でているように思うことがある。

その指のタッチが、ずっがと以前ではなく、グールドが生きていて、今もその指で弾いているように感じるのだ。

きっと多くの人がそう感じているのだろう。だからそんな人々と、わたしはグールドの弾くバッハを通して思いを共有していることになる。そう思えば慰めにもなる。

現実には、グールドは遠いという言葉にも意味がないほど彼方にいってしまい、昔の花をなつかしんだ津の国人のような気持ちになる。

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これも「雨の公園」さんの、下記のポストを見ていて思ったことです。

「数え切れない多くの人が、この聖書の物語を読みながら人生を生き、そして死んでいったという、その同じ世界の中に私も生きているという事実が私に深い慰めを与えてくれるのだ」
 「雨の公園 元気のない日に読むブログ」さんから

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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