抜け道(17)

         

 女ってのは結婚してしまうとつまらなくなるもんだ。遠藤菊子が帰ったあとの茶の間で彼はひとりごちる。
 そのまま、倒した座椅子にごろりともたれかかった。ひどく疲れたような気持ちになっていた。半分目を閉じかけるが、目の前にある炊飯器がどうにも気にかかる。彼は思い切って立ち上がると、それを抱えて台所に運んだ。

 ダンボールを始末していると茶の間で電話が鳴り始めた。右膝を手で押さえ、足を引きずりながら慌てて茶の間に戻った。受話器を耳に当てると、つるんとした若い男の声が聞こえてきた。
「今、電話しましたか」
「いや」
 彼はびっくりして応えた。この前電話を使ったのはいつだったか・・・・・・。この二、三週間、だれとも電話で話した記憶はなかった。「おかしいなー、確かにこの番号からっかってきたはずなんだけど・・・・・・」
 そうつぶやいたあと、男は彼の返事も聞かずにいきなりプツンと切ってしまった。彼は手の中の受話器をしばらくぞき込んでいたが、あきらめて元の場所に戻した。

 夕方、隣の家の嫁さんが、かやく飯と茄子の浅漬けを持ってきてくれた。これで夕飯の心配をせずにすみそうだ。嫁といっても、もう中学生と高校生の娘のいる年頃の女だが、近所では今も、嫁さんで通っているのである。
「暑くなりましたねぇ、おじいちゃん。傷みますから早く食べてくださいね」
 嫁さんはいい、なんとはなしに縁側の端に腰を据えて、庭を眺め始めた。
「ずいぶんにおいますねえ」

 山梔子のことだとわかった。荒れ果てた庭に、彼はつられたように顔を向けた。庭の奥で山梔子が緑の葉を茂らせ、赤ん坊意のこぶしのような白い花をたくさんつけていた。確かそれは、昔はもっと匂っていたのだ。そればかりではない。春には春の、夏には夏のさまざまな種類の花々が、家の庭を絶えず彩っていたのだ。  

 今、庭は人の手を離れ、勝手に芽を増やし、茎を伸ばし、夏草を茫々と茂らせ、その草の向こう側を、人々が庭をのぞき込みながら通り過ぎていくのが見える。小学生などは、化け物やしきだ、と叫んで走っていくくらいだ。

 

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