抜け道(13)

 大通りを折れるあたりで、十五年前に死んだ妻のことを、しきりと考え始めた。
 妻は外に出るのを嫌った。自分の考えというのをもたなかった。昼顔のような白っぽい顔で、座敷の奥に座っていた。彼に頼りきりだった。というか、そんな風に見せるのがうまかった。

 彼は苦笑いして考える。あの女を幸せにしてやったつもりが、実際、その振りにころりとだまされていたのかもしれない。

 高校の制服を着た少女たちが横に並んで、歩道をゆっくり歩いている。
 横を通ったとき、彼のぶら下げていた箱が一人のスカートに当たって、少女は声を上げてそれを手でおさえた。少女たちの笑い声が彼の背中で鳴った。帽子の中を見透かされたように、彼の脚は自然に速くなった。歩道を左に折れると、心なしか膝の痛みが増していた。

 緑色のフェンスの先に、岩崎皓一のハンチングの頭が小さく動いているのが見えた。岩崎は人々から離れ、グラウンドの隅に置かれたベンチの後ろのあたりをうろうろしている。ボールが飛んでしまって探しているようだ。膝を曲げた年寄りくさい姿である。カヤツリグサ、カヤなどの丈高い草が背中のあたりまで覆いつくしている。

 草を踏みしだいてベンチの前に戻ってくると、彼のいるのに気づいた。岩崎はそのまま両脚をピンとそろえて立つと、ハンチングを脱いで頭の上に掲げ、出稿する船を見送るように大きな弧を描いて振った。彼も手を上げて応じようとしたが、あいにく両手が塞がっていたので、頭を何度かうなずかせるにとどめた。

 石段の下まできていた。振り仰いで見る石段はいつも長く急だ。空に急速に雲が広がって、東の方向に移動していた。

 上り初めてすぐに、手に提げた荷が思いのほかやっかいなのに気づいた。進むにしたがい炊飯器は徐々に重みを増し、引き上げようとする彼の体を楔のように地上に押し戻した。中程まで来たときに、踏み出した足のズボンの裾が、石段の尖った縁に引っかかり、空しく宙を蹴ったあと、もう一方の足でかろうじて下の段に踏みとどまった。

 コロガルワタシ コロガルワタシ――、背中で言葉が勝手に鳴った。

 上り切ったとき、両脚が丸太ん棒のように張っていた。灰色の雲が目の奥にじわりと染みた。明日が雨なのはたぶん間違いないだろう。いや、むしら、今夜あたり、ザァッとくるかもしれない。梅雨明けも間近だ。
 家の裏手を流れる川もこのところの雨で水量を増している。川沿いの茶色の土手が、以前は家の北側の窓から見えたものだった。周囲に人家が疎らだった数十年ほど前までの話である。

 彼は立ち止まり、眼鏡が曇ったように感じていったん外すと、麻混紡のシャツの腹のあたりでふいた。妻が生きていれば、叱っただろうか。レンズに傷がつくからダメ、と。いや、彼を口うるさく叱ったのは、母親だった。

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