あたたかいキャンドルの灯を見つめつつ日本人の恥の概念について、つらつら考えてみた

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

街の中心に数百のロウソクの灯。12月17日の「キャンドルナイト in 若葉台」

今、どうにも不思議でならないことがあります。
それは、日本人の恥の概念についてなのですが

なんだ、そんなことかとお思いでしょうが
子どもの野外活動とか、スポーツチームとか
指導者やリーダーをしている方も多いと思います。

そんな団体で私もかつて2年間リーダーをしてました。
わが子が入団していた関係で、責任上というか、

断り切れずに引き受けたというか
まあ、そんな感じです。

皆さん、ママさんリーダーでした。
だから、何をするにでも、どこに行くんでも、わが子も一緒なんです。

それで、わが子の面倒をよく見るかというと、それが逆でわが子はあえて、無視なんですね。
ひいきしてしまうみたいだし、子も甘えるから・・・、
とまあ、そんな配慮なんですが。

私たち日本人特有のテレもあるかも知れませんね。
それで、ほっとくと、他のリーダーが面倒見てくれたり。

その後、スポーツ関係のコーチをしている方とそんな関係の話をしたら、
返ってきたのは意外な答えでした。
「自分が苦労してるんだから、わが子をよいポジションにしてやるのも当たり前」と。汗;

ちょっと驚きましたね・・・!
思っていたこととまるで違う・・・!!

なぜこんな過去エピソードを思い出したかというと・・・以前、
岸田さんがわが子を公設秘書にした際、
「ああ、あれと一緒だ・・・!」
と、ふと、そう思ったんですね。

息子を良いポジションにつけてあげる。
まあ、あたたかい親心ですね。まさか、
「自分が苦労してるんだから、わが子をよいポジションにしてやるのも当たり前」
とまでは、一国の総理大臣が思わないでしょうが・・・汗;

不祥事があっても、なかなかやめさせない。
自分と身内にはやさしい。
今回のパーティー券の問題でも微妙にそれを感じました

過去の日本人は、身内のみ利することをよしとしなかった。
そんなのは恥ずかしいと考えました。

戦後70年で私たちの恥の概念は、
ずいぶん変わってしまったのですね。
キャンドルの灯を見つめつつ、
そんなことを、のらりくらり考えました。

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今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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