高齢者の住む団地、移民の人々のためのゲートウェイになりうるのでしょうか?

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

人口減少のなか、外国人に団地に来て住んでもらえば、というような考えもあるようです。

現に私の住む団地には、
「一人暮らしの高齢者の部屋に、外国人留学生に来て住んでもらおう」
という考えを話す人もいます。

留学生には住まいが提供され、高齢者にとっても寂しい一人暮らしが解決される。たしかに理想としては素晴らしい。けれど、自分ではどうかな、と考えるともうひとつ自信がありません。

知らない人と共に暮らすのは、難しいものです。年代の違う外国人となら余計にそうでしょう。まして高齢になればなるほど頑固になり、適応能力も下がるでしょう。

それまで通りの平穏な暮らしを続けていくのは難しいかもしれませんね。

そんな思いの中で、この本を読んでみました。
「団地と移民」(安田浩一、角川新書)

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第一章の中に次のような見出しがあります。

「団地はいまや限界集落」

団地住民の1人としては、結構ショッキングな言葉です。

今「団地に住んでいる人の多くは、上がりにたどり着けなかった人、そこが上がりだった人、そして外国人だ」というような記述も・・・。

そして、住民の半分が外国人である「芝園団地」の例をあげて団地の現状や、取り組みを説明しています。

「人種間というよりは、世代間のギャップなんですよ」というのも頷けます。団地のもともとの住民は高齢化していて、新しく移り住んでくる外国人は、単身者や子育て中の人が多い。

それで、公園でも、買い物をする人でも、見かける人はどうしても外国人が多くなり、もともの住人である高齢者は、遠慮してひっそり住んでいるというイメージになるようです。

そして大切なのは、自治会や地元のいろいろな活動に参加してもらい、理解し合うことじゃないかと・・・。
高齢化する団地は、移民の人々のためのゲートウェイになるといいのではないかという提案も。こういうことに関して、自分の住むまちの人々にもぜひ意見をうかがってみたいと思いました。

さらには、移民の人々のまちとなっているパリ郊外の団地の状況もルポしています。ニュースなどでもよく、移民の人々の暴動の様子などが映され、怖いイメージがありますが、実際には日常生活が行われているだけで、差別と偏見がそういうイメージをつくりあげているのではないかと作者は書いています。

感じるのは、国の内外を問わず、どこの団地も今、苦しみつつみんなでこの先の道を模索している、ということでした。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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