午後のサンルーム (8)
それは八月半ば過ぎで、早くも秋の気配を感じさせるそんな日だった。庭のユキヤナギの花が萎れ、バラが狂ったように中庭に咲き誇っていた。
その日の午後、恵子は数人の人と散歩に出かけ杉林の横に野生のコスモスの群生を見つけた。その何本かを手折り、家に戻って素焼きの花びんに挿した。
その夜、月は東の空の高い位置から上り始め、九時には西寄りに傾きかけたが、移動するに従い、明るさを増して、建物や森の木々を白く照らし出した。
恵子は窓のそばに立って、見飽きない思いで空をながめていた。月は左上が欠けていて、暗い空との境目がおぼろげにかすんでいた。龍男はもう横になっている。静かな夜で、隣室の寝息が聞こえるようだった。
そのとき、ドアの外でやわらかなものが、ぶつかるような音がした。あ、と思い、ノブを回して廊下に出ると、薄暗い照明の下に菊江がいるのが見えた。
「どうしたの」
着物を着て半分前がはだけ、目がつり上がっている。
「部屋がわからないの。帰ろうとしたんだけど、ドアがたくさん並んでいて。それにお金がないのよ。お家賃が払えないわ」
と、寂しげな声でいった。
恵子は戸惑いながら菊江を中に入れると、磯野に電話をかけた。磯野は出ない。最近、夕食後、入居者の女たちと、食堂の横のバーでよろしくやってるというウワサだから、やはりそうなのかもしれない。
「困ったわ」
振り向くと。菊江が放心したように月を見ている。着物は裾が床に引きずり、髪は乱れバラバラと額にかかっている。
そして首には、醒めたような色の例の黄緑色のスカーフを巻いている。その様子を恵子は恐ろしいもののように見つめていた。
それから菊江はテーブルに向かうと、花びんの花に手をのばした。
「これ、もらってもいい?」
恵子がうなずくと、菊江は次々とコスモスを花びんから引き抜いていった。
部屋に送っていくと、やはり磯野はいなかった。
「だいじょうぶよ」
部屋に戻って安心したのか、急に正気にもどったかのような顔で菊江はいい、「そうだわ」と首に巻いていたスカーフをはずした。
「これ、あげる。もういらないの」
恵子の手に無造作に渡した。スカーフには菊江の体温が残っていた。
「佐々木さんのでしょう」
菊江は、不思議そうに恵子を見つめていった。
「だれ、それ。知らないわよ、そんな人」
菊江と別れると、恵子は食堂のそばを通って帰った。
食堂横のカウンターに何人かの者たちのいるのが見えた。そんな人々のシルエットが薄暗い影になって横の壁に映りこみ動いていた。
あそこに磯野はいるかもしれない。知らそうと足を向けたが思い直してそのまま家まで帰っていった。