比企能員一族が住んだ比企の谷。そこに建つ妙本寺の由来が心に残る

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

比企能員の末子が開いた妙本寺

毎週日曜日に見ている「鎌倉殿の13人」は、
平安時代末期から鎌倉時代にかけての話。
1192つくろう鎌倉幕府。だから約800年前。
これでいいのかな?
すごく大昔と思うけれど、私の義母は104歳まで生きた。
100歳の人をつなげば、たったの8人。
それほど大昔でもない。
違う?
また、それほど人というものが、変わるわけでもない。(・・・と思う)

曾我兄弟の仇討ち

先週は有名な曾我兄弟の仇討ち。
と見えて、実は頼朝暗殺のクーデター?
頼朝は無事だったけれど、
これから野望や、疑心暗鬼や、焦りや、
さまざまな感情が渦巻いて、すごいことになりそう。

ちょっと腰がひける。

比企殿の誤ったご注進のせいで
蒲殿が野心をもってしまった。
身の破滅につながらなければよいが・・・

大河では、どちらかというと
権力欲にみちた人物、にえがかれる比企能員。

比企一族の住んだ鎌倉の比企谷

比企一族の住んでいたのは、鎌倉の比企谷(ひきがやつ)。
この静かな地に建つ妙本寺は、能員の末子により開かれた。

後ほど起こる「比企の乱」。妙本寺の由来では、
この比企の乱について、
「北条時政の謀略によって・・・」と記されている。
そうすると、比企一族は被害者?
どちらが悪いのか。
悪くないのに争う人間のサガ?
たった800年前のことなのに・・・(汗
すべては藪の中だ。

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今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。
ほかにも「鎌倉殿の13人」について描いています。ご一読いただけたら幸いです。

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