「星のあひびき」(丸谷才一)を再読。やはり心に残るのは「白眉といふべき三帖は原文で読まう」のことばです。

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

『星のあひびき』(丸谷才一 集英社)

本は基本的に買う派なのですが、
地元の若葉台市民図書館SOLAさんには面白い本があるので、時々借りにいってます。

この本『星のあひびき』(丸谷才一 集英社)
本や小説についての考え方や書評が本当におもしろい。

特に心にグッとくるのが小説を書くに当たっての、丸谷さんの考え方だ。

「わたしの小説の方法はむき出しな人生を提供しないことである」

ずばり、こうますかか・・・?!と思う。

明治末期から日本では私小説が近代文学の主流となってきた。そんな中で、
こういう考えを貫くのは、なかなか大変だったのではないかと想像する。

日記かエッセイか小説か、曖昧なままで、それもまた、よし、
というような、ゆるいのには満足されなかったのだろう。
そして思いは、日本で本格的な長編小説を書こうという、とう強い意志に変わっていった。

「源氏物語」の白眉というべき三帖は原文


さらに、心にグサッとくるのは、「源氏物語」についての考察だ。特に、

「白眉といふべき三帖は原文で読まう」

という言葉。


「若菜」上下と「柏木」、つまり三十四帖~三十六帖までを原文でということ。
なぜなら、この三帖が「『源氏』の最も大事なところだから。

桐壺から葵あたりまで読むと、なんとなく「源氏物語」を読んだ気になれる。
けれど丸谷氏は、初老に達し地位を上りつめた男が、他の男の産ませた子を、知らぬ顔して育てなければならない、
そのつらさに触れて、源氏全体の筋は、この

「残酷な対象によって花やかに彩られてゐる」

とする。そしてその三帖は「シンメトリーの急所」になっているという。


栄華を極める光源氏に、いきなりつきつけられるこの残酷な展開がつらくて、なかなか読み進めにくいところだ。けれどこの部分があるからこそ、「源氏物語」がかくも永く読み続けられ、今も人の心を惹きつけるのだろう。

そんないろいろなことに、気付かせてくれる丸谷才一氏の貴重な本です。

DSC_4621



今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。ほかにも色々書いていますので目を通していただけましたら幸いです。

by
関連記事