ブローティガンの詩「東京日記」を読んでいると、子供の頃のいろいろなことを思い出す/聖火ランナー
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

歳のせいか、ブローティガンの詩「東京日記」を読んでいると、自分が子供だった頃のいろいろなことを思い出す。

聖火ランナー
1964年の秋、私は友人2人とその母親の4人連れで、県庁所在地に向かって白い国道を歩いていた。午後の、日差しが弱まってくる時刻だった。何本かのバスが傍らを通過していったが、どれも満員で、停まって私たちを乗せてくれるものはなかった。
その日は東京オリンピックの聖火ランナーが、県庁所在地の街を走り抜ける予定だったから、近在の者たちは、みんな県庁所在地を目指したのだ。電車で、あるいはバスで。そういうわけで、あまりにも多くの人がそこへ向かったので、乗れるバスは一台もなくなってしまったのだ。
オリンピック聖火ランナーなんて、滅多に見られるものじゃない。どんなにそれを見たかったことか。でも歩いているうちに、だんだん何のために歩いているのかわからなくなった。
二時間ほども歩いてくたくたになって、通過地点にある巨大なイチョウの木の横で私たちは聖火ランナーが来るのを待った。そしてまた、恐ろしく長い時間が流れ、そのとき、急に私はポケットに入れた小銭入れがなくなっていることに気がついた。そこには往復のバス代が入っていたのだ。
私は気もそぞろになって、なくしたとも言えずに恥ずかしくなって、イチョウの根方の辺りをさがしたがどこにもなかった。きっと歩いてる途中、汗をふくためにポケットからハンカチを取り出したときになくしたんだろう。
そして、ついに聖火ランナーがきた。みんなが、おおーと叫んで、人々の頭の向こうをまぎれもなく聖火ランナーが通ったのを知ったが何も見えなかった。小銭入れをなくしたことに気落ちし、見る元気もなくしていた。
そのときの出来事は、その後の私の人生を暗示しているような気がしてならない。
テクテク歩き続けること
間抜けなこと
お金のない哀しみ(__;)
この3つだ。神様はこうして時々、過去の自分と現在の自分とがつながっていることを教えてくれる。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

誰袖(福原遥さん)は、「わっちの袖の下で」と意知(宮沢氷魚さん)を誘い西行のあの歌を口ずさみます。西行といえばやはり待賢門院璋子さまへの悲恋でしょうか。 
蔦重(横浜流星さん)からの期待に押しつぶされそうになっている歌麿(染谷将太さん)。そこに現われた助け船はかつて親しんだ妖怪絵師鳥山石燕(片岡鶴太郎さん)だった 
2022年はマンガの神様、手塚治虫没後33年。「火の鳥」未来編を再読 してみました / 電子頭脳の支配する未来都市で起こった戦争。ついに人類滅亡か? 
「アップルパイの午後 尾崎緑作品集 / 蘚(コケ)の恋愛が不思議な「第七官界彷徨」も 
森茉莉さんの小説に「甘い蜜の部屋」というのがあります。この中で父の鴎外はまるで「愛の、がっこう。」の父のように過保護です






コメントを残す