姉と私とでは、見ていた母親の顔がまったくちがうのを知って驚く
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログ記事を書いています。
母がなくなったのは2013年3月1日、
そのあとに、悲しんでばかりいられない、いろいろなことがあった。
見ていた顔がちがう不思議
亡くなったすぐあと、印象に残っていることがある。
遺影の写真を選んでいたときのことだ。
姉はこの写真がい良い、という。(風格のある奥様風の笑顔)
それを見た私は、
「お母さんらしくないな」
と思い、「これ、どう」
と、別の一枚を取り上げた。(ちょっと憂いのあるやさしい顔)
けれど、「それ、ちがうんじゃない」と即座に却下された。
このときの発見。
私が母らしいと思う顔は、姉にとっての母の顔ではない、ということ。
考えてみれば、母の中に見ていた顔が、
姉妹でまったく違うのは不思議なことだ。
それとも母は、私たち姉妹それぞれに、
まったく違う顔を見せていたのだろうか(^_^;)
そのひと月ほどあと、
五十日祭の前に墓の掃除をすることになって、父と姉と3人で出かけることになった。
当然家にはだれもいなくなる。
玄関に回らず座敷の廊下から降りて、サッシを閉めた。
姉は、物差しのような長い棒をサッシの開いているところから差し入れ、
さらに内側のカギをぎりぎりまで動かして、いかにもかかっているように見せかけた。
実は、それは母のやっていたことで、
母は大真面目に、いたずらを楽しむようにそれをやっていた。
姉は手順通りに一連の動作をすると、ため息をつき大まじめな顔でいった。
「お母さんは、頭の固いあたしとちがって、いろいろ工夫できるのよね」
母への敬愛の念が顔にあふれている。
「まあ、お母さん、お茶目だったからね」と、あくまでいい加減な妹。
「ほら、見てごらん」
そのときの母の、得意げな声がよみがえってくる。
え、お母さんがお嬢さま??
帰ってきて、茶の間で茶を飲んでいると、
「お母さんは、なんでも工夫できる人なのよね」
さらに、ため息をつきながら、
「お母さんと、もっともっと、話をすればよかった」
母のそばにずっといたのは姉だから、そのセリフは本来私がいうべきなのだが・・・・・・。
ついには、
「お母さんは、お嬢さまだったのよね。実家には何人も使用人がいて」
「 え」、私は驚いて姉の顔を見つめなおした。
私が聞いたのでは、大きな農家だった母の実家では、
人手が足りず、農作業を手伝ってくれる人が何人かいて、
その中には家の手伝いをしてくれる女性もいた・・・とそんな話なのだ。
けれど、大勢にかしずかれたお嬢様のイメージは、すでに姉の心の中に定着している。
亡くなった母の姿は姉の心の中で、理想像に近づいていくばかりだ。
何年かたつうちに、母の写真はセピア色にくすみ、
どちらの写真でもあまり変わりはなかったと思える。
姉の思う母の顔、私の中にある母の顔、それぞれ違うけれど、
どちらも母の顔だ。
ひょっとしたら個性のちがう私たち姉妹に、
母の知恵で少しずつちがう接し方をしていたのかもしれない。
それぞれの顔を、母の全部だと思っていた私たち姉妹こそアホだといえる。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
他にも日々の思いを書いていますので、
ぜひ読んでみてください。
多彩な文章と美しい写真が対になっていて、思わず・・・次の章も読まされてしまいます。ゆきノベルのハシゴ???
最も印象に残ったのは、老後の住まい・・・
もっとも、私は酒をやらない(父譲りの・・やれない体質!)