リリー・クラウスの演奏するモーツアルトのピアノソナタを聴いているとある瞬間心をわしづかみにされる。これが本来のモーツアルトの可能性も・・・

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

最近よく、リリー・クラウスの弾くモーツアルトのピアノソナタを聴いている。

いっときはイングリッド・ヘブラーのモーツアルトを聴いていた。気をてらわず穏やかで、流れるように美しく、これぞ最高のモーツアルト・・・!と思っていた。

長女さんに、女の子が生まれたときには、調子に乗って、
「これを聴かせてあげるといいよ」
といって、CDを送りつけた。

心豊かに穏やかに毎日を過ごせるように、
欲をいえば品の良さみたいなのをはぐくんでほしい・・・と、そんな欲張りのばば心があったかもしれない。

けれど、最近リリー・クラウスの弾くモーツアルトを聴くようになって、一寸複雑な気持ちになった。

聴いていてワクワクしたり、昂揚したり、心がざわつくのである。モーツアルトのピアノソナタってもっと穏やかな気持ちで聴くものじゃなかったのか・・・。
モーツアルトは実際、これらのピアノソナタで何を表現したかったのだろう。

全曲穏やかな気持ちで聴くこともできるが、リリー・クラウスの演奏は奔放で、心をわしづかみにしてしまう。

少し激情的すぎるのかな、なんても思うが、これこそ若くして亡くなったモーツアルトその人のみずみずしく情熱的な感性そのものなのかも知れない。

それを汲み取る演奏者というのは本当に凄いな、と思う。

こうしていろいろな演奏に親しめるのも音楽を聴く楽しみだ。希有な才能をもつ表現者は日々奇跡を見せてくれているように思う。
人生にこんな楽しみをあたえてくれる演奏家の皆さんに感謝したい。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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