紫式部は曾祖父の堤中納言を自慢に思い、たびたびあの言葉を「源氏物語」の中に入れた。写真は邸あととされる「廬山寺」のお庭。桔梗の紫が清々しい。
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人の親の心はやみにあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな
この歌には、子を思う親の心が表されています。
作者は、藤原兼輔ふじわらのかねすけ)。紫式部の曾祖父で三十六歌仙のひとり。「大和物語」に登場する人物のひとりとしても知られています。しかし、心のやみ、とか、道にまどひ、とか、あまりにオーバーではありませんか。
この方は、醍醐帝の御代の有名な歌人で帝を慕い、崩御された際には大変ショックを受けて、あとを追うように亡くなったそうです。
この和歌は『後撰和歌集』に載っている有名な一首ですが、実は何かの宴会のときに子ども自慢になって、つい興がのって作ってしまった歌だそうです。だれしもつい親馬鹿になってしまうことがありますね。自分の心を偽らず、正直に表現しているところが心に残るのかも知れません。
紫式部は、このひいおじいちゃんのことをたいそう誇りに思っていたようです。そのためか源氏物語にもしばしば、「くれまどふ心のやみも」(桐壺)など兼輔の和歌からとった言葉を入れています。
ここは桐壺更衣の母が、娘が亡くなったあと訪ねてきたゆげひの命婦に、「これほどのご寵愛がなければこうはならなかった」と思わず心情を吐露してしまうところですね。ある意味帝にも失礼です。
そんな取り乱すさまを、「心のやみ」ということばで表現しています。それはそうですよね。大事な一人娘を亡くしたのですから。
しかも可愛いお子まで生まれたのに。心はもう闇どころではありません。
藤原兼輔の邸は鴨川の堤にあったため「堤中納言」と呼ばれていたそうです。きっとそこは紫式部邸があったのと同じ所、つまり廬山寺なのではないでしょうか。
兼輔は和歌の実力もさることながら、人柄も温厚でさまざまな人がこの邸に集まっていたようです。紀貫之もそのサロンの一員だったとか。きっと人柄もよく多くの人に慕われていたのでしょうね。そんな曾祖父に憧れて、紫式部もかなり「心のやみ」を源氏物語の中に取り入れたようです。
この素敵なひいおじいちゃんのエピソード、来年の大河「光る君へ」に反映されたらいいな、と思ってます。
ちなみに、小倉百人一首に入っている兼輔の歌は次の一首です。
みかの原わきて流るゝ泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ
どちらかと言えば、こちらの方が好きかも知れません。すみません、個人の感想です。笑
今、紫式部、堤中納言の邸があったとされる、京都廬山寺のお庭の桔梗が花を咲かせています。白い小石の庭と木々の緑、紫の桔梗の対比が清々しくきれいです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。
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