グリーンベルト（12）

　少したって「どうやら命拾いしたわね。あたしたち、ついてるわよ」と葉子さんが冗談みたいにいったけれど、だれも笑わなかった。とても、そんな気分じゃなかったから。
「アメリカくんだりまで来て、交通事故に遭ったりしたら、よっぽど運が悪いってことよ」
　君江さんが小さい声でいった。
「まあ、それなら、それでいいけど」
　わたしが一寸投げやりに言うと、君江さんがびっくりしたようにこちらを見た。

「さあ、じゃあ、出発しましょう。もう大丈夫」
　ヘレンが少し掠れた高い声で言った。
「はい」
「お願いします」
　わたしと君江さんが続けて言う。
「慎重にいきましょうね」と葉子さん。
「あら、あたしはいつだって慎重よ」
　一寸赤い顔で、ヘレンがおどけたように言う。

　今になって思うのだが、70歳をとうに過ぎたヘレンが異国の女３人を家に招いたり車で出迎えたりするのに、どんなに労力を費やしたことか。そんなことを当時の自分は思いもしなかった。わたしたちはただただ、この年配のアメリカ人女性の厚意に甘えきっていたのだ。

　タイヤを軋ませて小道をゆるくカーブすると、車は森の中に開かれた広場のような場所に停まった。回りに数軒の家々が見えた。丸く切り拓かれた空き地を囲むように数軒の家々が並んで建っている。

　あたりは鬱蒼として暗く周囲を高い木々が覆っていて息苦しいほどだった。小道を挟んで数軒の平屋建ての家が方を寄せ合うように建っている。軒が深く、どの家の前にもよく手入れされた花壇があり初夏らしく明るい色合いの花々咲き誇っていた。

　車から降りて歩き始めるとすぐに強烈な花の匂いが鼻腔をかすめっていった。熟れすぎた果実のような、ジャスミンのような一寸東洋風の匂いだ。この匂いのもとは何なのだろう。
　ケネディ空港で飛行機のタラップを降りたときからずっとこの匂いを嗅いでいた。わたしにとってのアメリカの匂い。それはまるで媚薬のように鼻についた。