よりよい人生にしようと、若い頃から頑張って生きてきたとして、必ずしも思いどおりの老後にならないのはなぜ?
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

私たちはよりよい人生にしようと思って若い頃から頑張ってきたわけです。まじめに働こうとか、家族を大事にしようとか、ぜいたくをせずに老後のために蓄えようとか。
そう思いながらこつこつまじめに生きてきたとしても、それによって、100パーセント、余裕のある安定した老後を送れるとは決まっていません。なぜなら、人生は予測を超えている、人智を越えたものだから。
6月19日の讀賣新聞「人生案内」で見た悩みがまさしくそういうものでした。相談者の40代の女性のご両親はまじめに働き、子育てし、倹約し、人生設計をきちんとされたのでしょう。それなのに、早くに亡くなられたり、寝たきりになってしまう。これは理不尽といっていいでしょう。

けれど、もともと私たちは奇跡によってこの世に生まれてきました。
だから理不尽も不可解も、そしてささやかな幸せや喜びもみんな好みに受け止めて、すくっと立って生きていけば良いのだと思います。
なぜこんなことに・・・とマイナーに考えて恨みをつのらせる人生もあれば、いろいろなところに喜びを見いだし、ひょうひょうと生きていく人生もあります。
ここまで人生を楽しめたし、いろいろなものを見せてもらった、愛した人も憎んだ人もいろいろで、あらゆる幸不幸がおとずれたけれど、それがこの世に生かされているということ。そう思えばむしろ、感謝の気持ちになり心が満たされます。
この世で体験することを、全身で受け止める。それが、人が生きるということなのでしょう。
そう思えば人を憎んだり、嫌ったり、我が身を嘆いたり、そんな暇はありません。
おおらかに楽しんで生きよう。案外それが、この世に生かされている意味なのかも知れません。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。