ツグミ団地の人々〈レモンパイ・レディ15〉

 それから僕らは父さんをまん中にして並んで家へ帰ってきた。
 エレベーターを降りて歩いていくと、ちょうど僕の家の前に、岡田さんが立っていた。手に白い箱を持っていた。僕たちに気づくと岡田さんはハッとしたようにこちらを見た。
 それから少し慌てた様子で言った。

「なんだか、猫ちゃんの鳴き声が聞えたもんだから。ほら、猫の鳴声って赤ん坊の泣き声みたいでしょう。だから、気になって気になって」
「そうですか。自分だけ置いていかれたと思って怒ってるんでしょう。家族の一員だと思ってるので・・・・・・あ、それは」
 母さんが岡田さんが手に持った箱をチラッと見て言った。
「これ、ケーキよ」
 母さんの顔がこわばった。
 まさか。うちのドアにケーキをぶつけたのは、岡田さんだったのか。すると岡田さんがケーキの箱を僕の前にぐいっと差し出した。

「これ皆さんで食べて。今日はあの娘の、あたしの娘の誕生日なのよ」
「そうなんですか」
僕は驚いて岡田さんの顔を見つめた。母さんはどう言っていいか分からないみたいでしばらく黙っていた。
「じゃあ、一緒に」
「あたしはいいのよ。皆さんでどうぞ。家であの娘が待ってるから」

 家に戻ると母さんが顔をしかめて父さんに言った。
「やはり、岡田さんは始まってるわね。一人暮らしなのに、娘が待ってるだなんて」
「そうだな」
父さんはぼんやりした声で言った。きっと一晩中、プールの横で女子おじさんと話していてひどく疲れたんだろう。
 岡田さんがくれた箱の中には真っ白い、苺の乗ったショートケーキが三個入っていた。それから僕らは朝ごはんも食べないうちから、ケーキを食べたのだ。
「朝からケーキなんて」
と母さんは言ったけれど。
 僕は白くて甘いクリームを口に入れながら、今ごろ岡田さんは、人形の前にケーキを置いて誕生日をお祝いしてるのかな、なんて考えていた。 

「とにかく戻ってきてくれてよかったわ」父さんを見ながら母さんが言った。
「勉強は進んでるんですか」。
「もうすぐだよ。これから一番大事なところに入るんだ。
父さんは、銀行で、出世するために試験を受けないといけないのだ。覚えることが沢山ありすぎて大変なのだという。けれど僕は知っている。父さんは、机の上に本を乗せてるだけで、ちっとも読んだりしていないのだ。きっとあれでは課長になるのは無理だろう。

 本の上にも、パソコンの上にもうっすらと埃がたまっていた。しばらく黙っていたあと、父さんは決心したように言った。
「どうやら、今の銀行員の仕事は僕に向いていないようなんだ」
 母さんは父さんをじっと見つめていた。そして言った。
「そうかもね。あなたあまり几帳面じゃないから。それにそろばんもできないし」
 すると父さんが笑った。
「馬鹿だな、今じゃだれもそろばんなんて使わないんだ。電卓ってものがあるじゃないか」
 父さんはあと1か月したら、マッサージ師の資格を取りたいのだという。それで銀行が終わったあと、学校に通っていたのだ。僕が驚いたけれど、父さんが女子おじさんになるよりずっといいな、と思った。
 それから母さんは朝ごはん用に、オムレツを焼いてパンをトーストし紅茶を入れてくれたけれど、ケーキでお腹がふくれてしまっていたのでだれも食べなかった。


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