秀吉の指には秘密があって、フロイスの「日本史」にも書かれている 天才だったのも確かだろう
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。
「どうする家康」で、あくの強い天才ぶりを見せていた豊臣秀吉ですが、あるとき、この人には指が6本あると聞きました。
秀吉の悪口をいいたい人が、そんなウワサを流したのだろうと思っていたが、どうやら本当らしい。前田利家の伝記「国祖遺言」やフロイスの「日本史」にも「片手には6本の指があった」と書かれている。
秀吉はそれをぜんぜん隠さなかったらしい。また、この六本指をもって秀吉を天才と持ち上げる人もいたようだ。たしかに、イエズス会の領地になっていた長崎を守り、日本が植民地になるのを防いだという偉業もある。
小指の先がない
そういえば小学生の時、小指の先がない友人がいました。みんなで授業中に森へ自然学習に行った時のことです。みんなではぐれないように先生を先頭に手をつないで行きました。
私が手をつないだのは、穏やかな人で、私は大好きでした。手をつないでいるうちに、ふと小指が半分くらの長さのように見えました。
それで私は、自分の小指を曲げてみて、ずっとこんな苦しい曲げ方をしれいたのかな、と考えてしまいました。
するとある時、その子が手を広げて見せてくれ、家で何かの作業中に指が挟まれて切れてしまったのだと、いいました。
春樹さんの小説の中にも
村上春樹さんの小説「風の歌を聴け」にも、指の先のない女性の話が出てきます。マイペースで生きる個性的で素敵な女性です。
その子も、何かの作業中に指の先が切断されたということですが、なぜ作家が女性をそのように設定したのか分かりません。
完全な形などこの世に存在しない、むしろ完全でないもののなかから魅力が生まれるということなのでしょうか。
こんな多様性の時代ですからたしかにそうなのでしょうね。
だいたいにこの年になると、黒かった髪は白くなり日々抜け落ちていき、歯も失われていきます。もともと完全な形などこの世に存在しないのですね。あったとしても日々それは不完全なものへと変貌を遂げていくのでしょう。
不完全なままにこの世をふわふわと漂い生きていく、それが人間なのかもしれませんね。またそこに不思議な楽しみがあるのかもしれません。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。