紫式部の邸あととされる京都 廬山寺。6月下旬~には約1000株の桔梗が気品ある紫の花を咲かせます。道長の邸もすぐ近く。二人は幼なじみだったかも・・・

こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

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昨秋、京都へ1泊旅行をしました。

次男さんがその少し前、仕事で京都へ移住し、秋になったら会いに行こう、そして京都案内もしてもらおうと勝手な計画をたてたのです。

「京都では、どこに行きたい?」
次男さんに聞かれて、「廬山寺」と一番に答えました。
ここが紫式部の邸宅跡と知って、一度は訪れてみたいと思っていたからです。


はじめに京都御所を見学し、そこから廬山寺に向かいました。迷いながら15分くらい歩きました。

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ここですね。紅葉の時季でしたが、中はひっそりとして落ち着いた佇まいでした。

時折、「源氏物語」ファンのような女性たちが連れだって門をくぐっていきます。


こちらは小倉百人一首に入っている、紫式部と娘の大弐三位の歌碑です。訪れたときは、気づかなかったため、写真は
,京都:廬山寺 ~紫式部の邸宅跡~のサイトからお借りしました。

めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月影    紫式部

有馬山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする     大弐三位

母と娘の歌、それぞれにいいですね。なんとなく感覚的に似たところがあるのは、やはり親子だからでしょうか。

紫式部は、藤原宣孝と結婚し幸せに暮らしていましたが、夫は3年あまりで死去、その後女手ひとつで娘の賢子(かたいこ、大弐三位)を大切に育てたそうです。

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源氏物語を執筆したのは、夫を亡くした寂しさもあったのかもしれませんね。
上の写真は、建物正面入ってすぐの紫式部像です。前身金色でとてもきれいです。

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建物の中から、ゆっくりお庭を見ることができます。白砂と苔の緑、そして紅葉の対比がとてもきれいでした。
6月下旬~9月初めころには、約1000株の桔梗が紫の気品ある花を咲かせ、まるで源氏物語の世界に入り込んだ気持ちになれるとのことです。

ところで娘の賢子ですが18歳ごろに、母と入れ違うようにして、女院彰子のもとに出仕しました。
宮中では紫式部の娘ということで、何かと声をかけられたようです。


またこの頃、「まだふみも見ず天橋立」で有名な和泉式部の娘、小式部内侍も出仕していたとのことで、当時も宮中にきらめく才能の女性が集まっていたのですね。

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「賢子がまいる」というコミックも出ているようで、これも一寸興味が湧きます。

そういえば、道長の邸も近くだったとのこと。

才女紫式部のウワサはかなり早くから道長の耳に届いていたかもしれない。ひょっとしたら、幼なじみだったかも。あ、ドラマでもそういう設定だったような・・・。

廬山寺からほど近くにある梨木神社付近は、かつて「中川」と呼ばれ、「源氏物語』では貴族の邸が建ち並んでいるという設定です。

第11帖「花散里」(はなちるさと)の邸も、この付近に想定されているようです。

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お話の中のことなのに地図で見て調べたり、実際に行ってみたくなったり、源氏物語とは本当に不思議な物語です。
いつか、「京都源氏物語地図」ができたら素敵ですね。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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