ドラマ「月夜行路」第6話では、坂口安吾の「桜の森の満開の下」が紹介されていました。安吾は大好きな作家のひとりです
こんにちは、ゆきばあです。毎日ブログを更新しています。

波瑠さんと麻生久美子さん主演の『月夜行路-答えは名作の中に-』毎回観ています。
お二人の会話の楽しさや、不思議な空気感、どれも魅力なのですが、毎回ドラマの中で紹介される文学作品も楽しみです。
5月13日の第6話では、坂口安吾のかの恐ろしい小説「桜の森の満開の下」(講談社文芸文庫など)が詳しく(しかも絵入りで)紹介されていました。
急に再読したくなり、本箱から引っ張り出してきました。
『桜の森の満開の下』
この小説の中心は桜の花の禍々しいまでの美しさ、存在感です。
たとえばお花見などでは、人は桜の下についつい浮かれてしまいますが・・・ここから人の姿を取り去ると、禍々しいまでに恐ろしい光景になるそうです。
だから人は、満開の桜の森の下なんかへたまたま入ってしまうと、気が狂ったようになるのだとか・・・。
小説の中身は、ざっとこんな感じです。
女をさらって逃げた山賊
昔、鈴鹿の山奥に一人の山賊が住んでいました。
山賊の男は夫婦ものを襲っては女をさらって自分の妻にしていました。
あるとき、襲った中にいた女が凄い美貌で、男は苦労しながら女を背負って山道を歩き家まで連れて帰ります。
この女はひどく残酷な質で、男に人の首を取ってくるようにいいつけます。
恐ろしい人形遊び
やがて二人は都に移り住みます。女は男の取ってきた首でごっこ遊びをします。美しい娘の首、姫君の首、貴公子の首、大納言の首・・・、それらが人形遊びのように使われるさまは、それはそれは恐ろしい光景だったことでしょう。
やがて男は都での生活がイヤになり、山に戻るといいます。女も一人ではいられない、といってついてきます。
女を背負って山道を歩いていると満開の桜の下に入り込みふと気がつけば、背中の女は鬼に変わっていました。男は鬼をふるい落とし恐ろしさのあまりその首を絞めます。
ところが息絶えると、もとの美しい女の姿に戻っていて、男は泣きながらその身体に桜の花びらをにかけます。すると女は桜の花びらになって舞い散り、男の姿もかき消えるという、それこそ満開の桜の下での悪夢のような話なのです。
満開の桜の下の絶対的な孤独
ふたりが消えた後も、桜は枝いっぱいに花を咲かせています。
人の命ははかない。
さんざん悪行を重ねた二人さえ、桜の圧倒的な存在感の下では風に散る花びらのようなものです。
こちらは本文から↓
「桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは『孤独』というものであったかもしれません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました」(本文より)
若いうちに読んだときは、恐ろしい小説だなと思いましたが、今はむしろ坂口安吾の孤独感や寂しさを感じてしまいます。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。ほかにも日々の思いを書いていますので、目を通していただけましたら幸いです。

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