千日劇場の辺り ―奇妙な案内人〈7〉

 職員と話していた男は、やがて軽く頭を下げて何度かうなずいた。職員は顔をしかめたままで、少し男から離れ、しみじみと全身を眺め回した後、身体の向きを変えて事務室でもあるのか体をかがめながら、細くて薄暗い廊下の方へ去って行った。
 

 職員が行ってしまうと緊張が去ったのか、男は頭から帽子をとってハンカチで額の汗を拭いた。その顔を見て美佐江は絶句した。なんと、正木さんではないか。ひょっとしてそっくりの顔の他人だろうか。それとも親戚の誰かとかいや。あのちょっと目を伏せた様子とか、ねばっこい話し方は確かに正木さんに違いない。どうも聞いたことのある声だな、と思っていたけれど、やはり正木さんだったのか。ほんとうに、本物だ。正木さんに違いない。

 そしてそれからは、美佐江はなるべく顔を伏せて男と目が合わないようにした。目が合った時、相手にどんな表情が出るか、そしてそれを見た時、自分はどんな顔をするか想像がつかなかったからだ。先程、ざっと見た感じでは、正木さんは自信ありげというほどでもなく、ちょっと弱々しげに案内している。そんなところがやはり、正木さんらしい。

 もともと気の弱い人なのだ。そんな、正木さんが自分の失態?を美佐江に見られたと知ったら、たぶん本当の正木さんには戻れないだろう。少なくとも私の前ではと、美佐江は思った。そう考えるとおろおろする気持ちになる。だから顔を合わせてはいけないのだ。

 いっそ、このまま、回れ右をして帰ってしまおうか。それが、自分にも正木さんにも一番良いように思った。それに、悪いことをしていたわけではない。職員に咎められたにしろ、彼の本来もつサービス精神を発揮してしまったのだろう。
 そういえば、いつか正木さんから、趣味で茶碗を集めていると聞いたような気がする。いや、それこそ、今見たことを過去の記憶に置き換えているだけかも知れない。人にはよくそんなことがあるらしい。

 そう思っているうちに、離れていた女たちも再び男―正木さんのもとに集まってきた。
「また面白い話しをして」
 というように、女たちは正木さんの顔を見上げた。陳列ケースの中を見ていた女も、時々気になるように振り返ったりして見ていた。

 
 美佐江はそれから、なるだけ下を向いて、それでも好奇心から離れることができず、そろそろと移動を始めた正木さんと、女たちの後について歩いていった

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